卒業後も思いはやまず、一方で親に迷惑はかけられないと、スポーツバッグ片手に単身、東京・歌舞伎町へ。親戚や友人が一人もいない知らない街。紹介の紹介で、寮付きのオナベバーに転がり込んだ。

 月1回のホルモン注射は体形や体質を徐々に変えていった。生理はほぼ止まり、体毛が濃くなると、声変わりも起きるようになった。髪質や皮膚の質にも変化が表れ、筋肉も付きやすくなった。何よりも眼光が鋭くなったと言われるようになった。体重は2割も増えた。

 一方で、体質の急激な変化による体の不調にも襲われるようになり、生理に起因すると思われる腹痛なども。男性トイレでは汚物の捨て場所に困り、ポケットに突っ込むことさえあった。将来の性別適合手術への恐怖や不安よりも、女でいることの身体的・精神的苦痛のほうが大きかった。

 乳房を切った20歳の時は費用があまり用意できず、片田舎の開業医に練習台という条件で頼み込んだ。その後に行った戸籍名の変更も、書類の郵送だけで済んだ。だが、最難関の性の変更だけは大がかりな手術が求められた。多額の費用も用意しなければならなかった。

 性別適合手術費用を蓄えるため、割の良いタイル工の仕事に就いた。「昼間の仕事をしたい」という理由もあったが、職歴も学歴もない自分には現場仕事しかなかった。

 現場の同僚には女であることは隠し通した。ただ一人、親方だけは知っていたと思われたが、仕事さえすれば関係ないという姿勢で口にも出してこなかった。

 ビルや住宅用のタイルは、持つと重くかさばり、体にのし掛かる。ここで両腕、両肩の筋肉が付いた。男らしいモリモリとした鋼の肉体を得ることができた。

タイでの手術を
コーディネート

 バンコクでの手術後、日本に戻って待ちに待った性の変更手続きをしていた時のことだ。自分のようなケースでは、親の戸籍から自動的に除籍となり、新たな一人戸籍が作られることを母とともに初めて知った。

 自分のショックよりも母の気持ちを案じた。だが、母は「男なんだから戸籍を持って当たり前」と気丈に一言。涙声になりながらも、かけてくれた言葉には優しさがあった。