「わかりやすく書く」には勇気が必要
更科 でも、難しい問題があります。往々にして「ていねいな説明」はつまらないんです。だから、その「ていねいで、つまらない部分」を、間違いではないギリギリのところまですっ飛ばす。ここには、すごく勇気がいるんです。
これは、高い崖の上で、崖っぷちまで歩いていくようなものかもしれません。崖から落ちてはいけない。だからといって、崖っぷちから離れた安全なところにいては、景色がよく見えない。そこで、崖っぷちギリギリのところまで歩いていく。
本についても同じことが言えます。正しいけれどわかりにくい文章を書くのは簡単です。わかりやすいけれど間違った文章を書くことも簡単です。正しさを失わない範囲でぎりぎりまでわかりやすい文章は、崖っぷちに立つようなもので勇気がいります。
──勇気ですか?
更科 そうです。そもそも「書く側」と「読む側」には、利害が相反するところがある。読者は「おもしろくて、わかりやすいもの」を求めますが、私たちのような書き手はやっぱり「正しいこと」を書きたい。
正直に言うと、研究者は「わかりにくい」って言われるのは嫌いじゃないんです。あまり恥ずかしくないというか(笑)。でも「間違ってる」「不正確だ」と言われるのは、すごく嫌なんです。だから、そこをギリギリのところまで踏み込んでいくのは勇気がいる。崖から落ちてしまったら、元も子もありませんから。
私は、この本を「テレビ番組を観るような本」を目指して書きましたが、だからといって「テレビ番組を観るような本」が一番いい本だとは思っていません。いい本には、いろいろなタイプの本があるからです。
日本で初めて、数学のフィールズ賞を取った小平邦彦さんという数学者がエッセイのなかで書いているのですが、小平さんが学生の頃、高木貞治先生という、第一回のフィールズ賞の選考委員を務められた高名な先生がいた。
高木先生は、大学の講義が始まる時間になって、やっと大学にやってくる。その時点で完全に遅刻ですよね。
それで、すぐに教室へ行くのかと思えば、まずは、のんびりお茶を飲む。しばらくして教室に来たときには、もう授業時間の半分くらい過ぎていて、それから講義をして、さっさと帰るそうです。何もおもしろいことは言わず、黒板に数式などを書いて、去っていく。
この本の「テレビ番組のような講義」とは真逆ですが、小平邦彦さんのような偉大な数学者を育てている。そんな講義って、やっぱり素晴らしいと思うんですよ。その一方で、テレビ番組のような、入り口になる本もあっていい。そんな思いで、この本を執筆しました。
──「わかりやすく書く」ということについて、関心のある読者も多いと思います。具体的にはどのようなことを心がけていますか?
更科 重要なのはトピックの並べ方だと思います。文章というものは、たくさんの文からできていますが、たとえ、わかりやすい文をきちんとつないでいったとしても、それだけでは、テレビ番組のような本にはなりません。トピックの並べ方が不適切だと、論理の展開がわかりにくい文章になってしまうからです。
注意すべきポイントは2つあります。1つ目な自然な順序に並べるということですね。例えば、時間の経過に沿って並べるとか、一般的な話題から初めて個別な話題で終わるとか、読者が知っていそうなことから述べて知らなそうなことへ発展させていくとか。
これはあたりまえのことですが、意外と難しいのです。書き手はつい自分を中心に考えて、文章を書いてしまいます。自分に身近なことから始めてしまったり、自分がよく知っていることは説明しなかったりしがちです。でも、読者の立場になって書かなくては、わかりやすい文章にはなりません。
2つ目は、重要なことは繰り返すことです。人の記憶はかなりいい加減です。見たり聞いたりしたことで、記憶されるのはその一部にすぎませんし、これは文章を読むときも基本的には同じですね。いくら論理がしっかりした文章でも、読者が前に読んだことを忘れてしまえば、内容を伝えることはできません。