生物とは何か、生物のシンギュラリティ、動く植物、大きな欠点のある人類の歩き方、遺伝のしくみ、がんは進化する、一気飲みしてはいけない、花粉症はなぜ起きる、iPS細胞とは何か…。分子古生物学者である著者が、身近な話題も盛り込んだ講義スタイルで、生物学の最新の知見を親切に、ユーモアたっぷりに、ロマンティックに語る『若い読者に贈る美しい生物学講義』が4万部突破のベストセラーになっている。
専門知である生物学を「身近で、おもしろい話」にする秘訣はどこにあるのか。「わかりやすい文章」を書くために大切にしていることを、著者更科功さんに伺った。
(取材・構成/イイダテツヤ、撮影/疋田千里)
関係ないことにもアンテナを立てる
──「生物の本」というと「生き物のおもしろい生態」をまとめた本が増えていますが、『若い読者に贈る美しい生物学講義』は「科学とは?」「生物とは?」という本質的なテーマから「シンギュラリティ」や「人類の二足歩行について」など、さまざまな領域へと広がっていきます。そもそも、この本はどういう思いで書かれたのでしょうか?
更科 生物学に関わりのない人にも読んでもらえたら素敵だな、と考えたのが出発点です。
テレビドラマにもなった『今日から俺は!!』という不良マンガがあります。私は昔から「不良マンガ」が好きで、けっこう読んでいるのですが、でもそれは、不良になりたいから、不良になるための準備として読んでいるわけではありません。
関係ないことでも、そこにアンテナが立っていること、視野の広がりを持っていることは、けっこう大事だと思っています。
つまり、「不良マンガを読むことが大事」を言いたいわけではなくて、その道に進まなくても、世の中にはおもしろいことがたくさんあるし、そうやっていろいろ知ることは、人生を豊かにしてくれる。知らないよりは、いろんなことを知っている方がいい。
私が不良マンガを読むときに感じる楽しさを、もし、この本の読者にも感じてもらえたら、それはとても嬉しいです。
1961年、東京都生まれ。東京大学教養学部基礎科学科卒業。民間企業を経て大学に戻り、東京大学大学院理学系研究科修了。博士(理学)。専門は分子古生物学。東京大学総合研究博物館研究事業協力者、明治大学・立教大学兼任講師。『化石の分子生物学』(講談社現代新書)で、第29回講談社科学出版賞を受賞。著書に『宇宙からいかにヒトは生まれたか』『進化論はいかに進化したか』(ともに新潮選書)、『爆発的進化論』(新潮新書)、『絶滅の人類史』(NHK出版新書)、共訳書に『進化の教科書・第1~3巻』(講談社ブルーバックス)などがある。
──たしかに、この本では「動物には前と後ろがある」「ヒトはそんなに偉いのか?」「がんの話」「花粉症の話」など、生物学に興味のない人でも「気になる項目」がたくさん出てきます。
更科 世の中におもしろいことはたくさんあります。しかし、だからといって私は「新しいことを知るのは楽しい」「学ぶことは、喜びだよね」ということを押し付けたくはありません。
たしかに楽しい面もあるけれど、つまらない面もある。それは題材にもよるし、読む側の気分にもよります。いつも「勉強って楽しい」「働くって楽しい」というわけにはいきません。
だからこそ、私はこの本でも、「テレビ番組を観るように読める本」を目指しています。興味のない人がそのジャンルの入り口までやってきたとき「ちょっと覗いてみませんか」という役割ですね。
こういうと本の宣伝にならないかもしれませんが、本のよいところは、読みたくなければ本を閉じてしまえることです。これはテレビでも同じで、観たくなければ消してしまえばよい。もちろん学校の教科書でしたら、読みたくなくても読まなければならない場合もある。でも、この本は違いますね。読みたくなければ読まなくてもよい。
大学の講義の中には、出席をとらない講義もあります。さらに、講義に出なくても、単位が取れる講義もあります。それでも講義に出てくる学生はいる。そういう学生のためにする講義が本当の講義だと思います。まあ、大学の講義の場合は、そうも言っていられない場合が多いのですけれど。でも、本の場合は、出席なんか取りませんから、いわゆる本当の講義ができるのではないかと考えています。
講義にもいろいろな種類があったほうがいい。受講した学生の10%しか理解できないけれど、絶対に必要な講義もあります。学生の90%は理解できるけれども、特に必要ではない講義もあります。誤解をおそれずに言えば、この本が目指しているのは後者です。「専門家でない多くの人にとって、生物学の入り口となる本」を目指しているということです。
たとえば、ノーベル賞を受賞した本庶佑先生の「がん細胞の研究」をこの本でも取り上げています。本庶先生がノーベル賞を取ったことは知っている人は多いと思うんです。もしかしたら「がん細胞の研究で受賞した」くらいまで知っているかもしれません。
でも、どういう内容なのか、具体的に知っている人はほとんどいない。そうしたことについて、この本を読んで興味を持ってほしいわけです。
人間の免疫細胞はがん細胞を殺すことができます。でも、免疫細胞は働き過ぎると、私たちの体まで攻撃してしまう。わかりやすいのがアレルギーですよね。
だから、免疫細胞には「働きを制御するブレーキ」がついています。がん細胞の中には、その免疫細胞のブレーキを踏んでしまうものがいます。そうすると、免疫が働かなくなり、がん細胞が増殖する。
そこで本庶先生は、がん細胞が「免疫のブレーキ」を踏めないように、そこにカバーをかけてしまおう。そんなアプローチを発表して、見事にノーベル賞を受賞しました。