私たちは「進化の奴隷」になってはいけない

──この本では「人間は平和な生き物」「ヒトは地球に何をしてきたか」など、生物学の話でありながら、哲学や思想にも繋がる深いメッセージを感じます。更科先生は、意図的にそういう思いを込めているのでしょうか?

更科 じつはまったく込めていないつもりです。もちろん、自分の考えが出ているところはあるかもしれませんが、「人として、こういうことが大事だ」と伝える意図はありません。なぜなら、それは生物学的な事実とはまるで無関係だからです。

 たとえば「人種差別をしてはいけない」という考え方がありますよね。そもそも生物学的には「人種」はない。たとえば「黒人」という一つのグループは存在しません。

 こうした事実を踏まえて「生物学的に人種は存在しないから、人種差別はナンセンスだ!」と主張する人がいますが、でも、そうでしょうか。人種差別をしてはいけない理由は、生物学的に人種が存在しないからではありません。たとえ生物学的に人種が存在していても、人種差別をしてはいけないのです。

 10年前に比べると、DNAの解析速度は倍以上になりました。これからもどんどん技術は進んでいくでしょう。もしかしたら、人類のいろいろな集団のあいだに遺伝的な違いが見つかって、さまざまな能力や性質の違いが明らかになるかもしれません。

 そのときに大事なのは「生物学的に違いがないから、差別をしない」のではなく、「生物学的に違いがあろうとなかろうと差別をしない」ということです。

 この本では「人類は平和な生き物」という話をしていますが、それは「人類は最初から残酷で、好戦的な生き物である」という、ある種間違った理解が広がっていたので、現在の生物学の定説を紹介したに過ぎません。

 でも、それは「人間が平和な生き物だから、平和を目指さなければいけない」というのとはまったく違います。チンパンジーに比べて人間が平和的なのは事実ですが、そんなことは関係なしに、人を殴るのはよくないし、平和を目指していくことが大切です。

 ときに私たちは「科学で見つかった事実」に抵抗して生きていかなければならない、と私は考えます。科学的な事実を踏まえ、その進化の奴隷になるのではなくて、私たちは自らの行動を決めることができるのです。

「自らの行動を変えることで、進化の道を変えることができる」というのは、ダーウィンの時代から言われていることです。