ビジネスにも使える、<br />科学者の「仮説」を立てる方法

生物とは何か、生物のシンギュラリティ、動く植物、大きな欠点のある人類の歩き方、遺伝のしくみ、がんは進化する、一気飲みしてはいけない、花粉症はなぜ起きる、iPS細胞とは何か…。分子古生物学者である著者が、身近な話題も盛り込んだ講義スタイルで、生物学の最新の知見を親切に、ユーモアたっぷりに、ロマンティックに語る『若い読者に贈る美しい生物学講義』が4万部突破のベストセラーになっている。
「生物学」「科学」という視点から、私たちは何を感じ、何を学び取ることができるのか。知のプロフェッショナルである科学者は、どのように仮説を立てて、真理に迫っていくのか。生物学の専門家であり、本書の著者である更科功さんに、じっくりと話を伺った。
(取材・構成/イイダテツヤ、撮影/疋田千里)

科学も刑事コロンボも方法は同じ

──『若い読者に贈る美しい生物学講義』では、生物学の話をする前に、「科学とは?」という問いから入っています。生物学の本としてはめずらしい導入だと思うのですが、どのような意図があったのでしょうか?

更科 1つには「科学とは」という前提を理解しておかないと、その後の話が説明できないからです。

 実際に本の中にも書いたのですが、科学では、

 まず仮説を立てる。
 その仮説を、観察や実験によって検証する。
 観察や実験によって仮説が支持されれば、より良い仮説となる。
 繰り返し支持されてきた仮説は、とても良い仮説である。
 
 という前提があります。

 仮説が繰り返し支持されれば、それは「良い仮説」となる。こうした考え方は、科学のみならず、あらゆる方面で役に立つと思っています。ビジネスに置き換えても使えますし、生活のなかで活用できる場面もあるでしょう。

 これは『刑事コロンボ』でも同じです。さまざまな推理をしながら、仮説を立てていきます。その後、捜査を重ねていくなかで、何度も支持された仮説は「より良い仮説」になり、ついには犯人を突き止めます。まさに科学の前提となる考え方です。

 コロンボも科学も、100%正しい真理に到達することはできません。仮説を少しずつよい仮説にしていくことしかできません。これはとても大事なことだと思います。

 そもそも私は、生物学とか、物理学というのは便宜的な分け方に過ぎず、科学は一つの学問だと考えています。だからこそ、この本でも、「科学とは」という前提を踏まえるところから始まって、さまざまな具体的な話に展開していく。そんな構成になっています。

ビジネスにも使える、<br />科学者の「仮説」を立てる方法更科 功(さらしな・いさお)
1961年、東京都生まれ。東京大学教養学部基礎科学科卒業。民間企業を経て大学に戻り、東京大学大学院理学系研究科修了。博士(理学)。専門は分子古生物学。東京大学総合研究博物館研究事業協力者、明治大学・立教大学兼任講師。『化石の分子生物学』(講談社現代新書)で、第29回講談社科学出版賞を受賞。著書に『宇宙からいかにヒトは生まれたか』『進化論はいかに進化したか』(ともに新潮選書)、『爆発的進化論』(新潮新書)、『絶滅の人類史』(NHK出版新書)、共訳書に『進化の教科書・第1~3巻』(講談社ブルーバックス)などがある。

──たしかに、後半の「直立二足歩行の話」「人類は平和な生き物」というあたりを読んでいくと、「何度も支持されているのは良い仮説」というベースの考え方が効いてきますね。

更科 「人類は平和な生き物」であることが、現在では有力な仮説になっているんです。でも、これを認めないというか、納得しない人もけっこういる。「人類は残酷で、好戦的な生き物だ」という具合ですね。

 じつは、これって古い迷信というか、古い説が根強く残っているだけで、おそらくは、スタンリー・キューブリックの『2001年宇宙の旅』という映画の影響が大きいんです。

 観たことがある人も多いと思うのですが、『2001年宇宙の旅』の冒頭のシーンには、類人猿が出てきて、大きな骨を武器にして、他の動物、あるいは、仲間を殴り殺します。そのときに「快感だ!」と言わんばかりに、類人猿は本当に嬉しそうな顔をするんです。空中に放り投げられた大きな骨が、宇宙空間で宇宙船と重ね合わせになるというシーンからこの映画は始まります。

「武器から文明が生まれた」というメタファーですね。人類が直立二足歩行になったことで武器を扱うようになった。武器を使うから牙が不要になり、その武器で仲間と殺し合うようになる。ーーーー言ってみれば、人類は残酷な生物として生まれたと描いているわけです。

 じつは、この考えは、レイモンド・ダートという人類学者の仮説が根拠になっています。しかし、現在では、レイモンド・ダートの仮説は、否定されています。

 この本にも書きましたが、生物学的な定説では、直立二足歩行によって手が空くようになり、たくさんの食料を運ぶことができるようになったんです。その結果、子どもに十分な食料を与えることができ、子どもの生存率が上がった。

 そういった生活をするためには「どれが自分の子どもなのか」を判別する必要があるので、一夫一妻制だとつじつまが合う。結果、メスを奪い合うオス同士の戦いが少なくなり、牙も退化し、平和的に暮らすようになっていく。

 類人猿と比べて、人類はとても平和な生き物です。この説には証拠もあるんですが、正直言って、弱い証拠しかない。でも、なぜ生物学の世界でこれが定説になっているかと言えば、人類が直立二足歩行をすることと牙がないこと、この両方の仮説を説明できるからなんです。証拠が弱いときは、多くの仮説を説明できる方を良い仮説とするのが、科学の方法です。