「仲間が平等な会社」をつくろう

 こうして、僕たちは、工学社を辞めた1977年5月にアスキー出版を設立した。

 資本金は300万円。三人で100万円ずつ出し合った。誰も社長になりたがらなかったので、頼み込んで、僕の父親に社長になってもらった。そして、最年長の郡司さんが副社長、塚本さんが編集部長、僕が企画部長ということにした。

 工学社での反省もあって、三人平等の会社にしようと確認し合った。もちろん、給料もまったく同じ。これは、僕たちが訣別する日まで変わらなかった。

 アスキー出版という社名は、当時、コンピュータの文字のことをアスキーコード(ASCIIコード)と呼んでいたことからつけた。”ASCII”とは“American Standard Code for Information Interchange”の頭文字で、後に「アメリカ、アメリカ」というのもなんだからということで、お世話になっていた京都・大徳寺の立花大亀和尚に「明日来」という文字を当てていただいたりもした。

 当初、当時僕が住んでいたマンションをオフィスに使ったが、さすがに手狭にすぎた。そこで、新オフィスを探すことにした。はじめは秋葉原がいいかな、と考えたが、世俗的な電気街にどっぷり漬かるのもどうかと思った。僕のマンションのある代々木も考えたが、工学社も代々木にあったので居心地が悪い。

 じゃ、代々木の隣の原宿はどうだ?

 というわけで、原宿の不動産屋に飛び込んで紹介してもらった、南青山5丁目のハイトリオというマンションの305号室に決めた。8坪のワンルームマンションだったが、この「船」に僕たちは乗り込んで“出航”したのだ。

伝説的ベンチャー「アスキー」を生み出した“大喧嘩”とは?西 和彦(にし・かずひこ)
株式会社アスキー創業者
東京大学大学院工学系研究科IOTメディアラボラトリー ディレクター
1956年神戸市生まれ。早稲田大学理工学部中退。在学中の1977年にアスキー出版を設立。ビル・ゲイツ氏と意気投合して草創期のマイクロソフトに参画し、ボードメンバー兼技術担当副社長としてパソコン開発に活躍。しかし、半導体開発の是非などをめぐってビル・ゲイツ氏と対立、マイクロソフトを退社。帰国してアスキーの資料室専任「窓際」副社長となる。1987年、アスキー社長に就任。当時、史上最年少でアスキーを上場させる。しかし、資金難などの問題に直面。CSK創業者大川功氏の知遇を得、CSK・セガの出資を仰ぐとともに、アスキーはCSKの関連会社となる。その後、アスキー社長を退任し、CSK・セガの会長・社長秘書役を務めた。2002年、大川氏死去後、すべてのCSK・セガの役職から退任する。その後、米国マサチューセッツ工科大学メディアラボ客員教授や国連大学高等研究所副所長、尚美学園大学芸術情報学部教授等を務め、現在、須磨学園学園長、東京大学大学院工学系研究科IOTメディアラボラトリー ディレクターを務める。工学院大学大学院情報学専攻 博士(情報学)。Photo by Kazutoshi Sumitomo