インターネットの「知の巨人」、読書猿さん。その圧倒的な知識、教養、ユニークな語り口はネットで評判となり、多くのファンを獲得。新刊の『独学大全──絶対に「学ぶこと」をあきらめたくない人のための55の技法』には東京大学教授の柳川範之氏が「著者の知識が圧倒的」、独立研究者の山口周氏も「この本、とても面白いです」と推薦文を寄せるなど、早くも話題になっています。
この連載では、本書の内容を元にしながら「勉強が続かない」「やる気が出ない」「目標の立て方がわからない」「受験に受かりたい」「英語を学び直したい」……などなど、「具体的な悩み」に著者が回答します。今日から役立ち、一生使える方法を紹介していきます。(イラスト:塩川いづみ)
※質問は、著者の「マシュマロ」宛てにいただいたものを元に、加筆・修正しています。読書猿さんのマシュマロはこちら
[質問]
うつ病の後遺症で、希死念慮で身動きが取れなくなることがあります
自分はうつ病になったことがあります。現在は寛解しましたが、そのときの後遺症で、こべりつくような希死念慮が残りました。落ち込むとそれが足に絡みついて、身動きが取れなくなることがあります。そういうときは、マインドフルネス瞑想や、とにかく寝ることでやりすごしていますが、他にも良いアプローチはあるでしょうか? これは自分の一生の業だと思います。できることなら向き合いたいのですが、読書猿さんのお考えをお聞かせ願えませんか?
「こんにちは、また会いましたね」と挨拶して去る
[読書猿の解答]
襲ってくる記憶や感情は、やっかいな家族みたいなもので、つながりを断つのはできなくても、
・まず距離を取る
・出会ってしまったら礼儀正しく対応
そして
・自分が回復すればするだけ、余裕を持って対処できるようになる
と思ってます。
「礼儀正しく対応」というのが分かりにくいとよく言われるので、もう少し説明します。
襲ってくる記憶や感情を、意味づけしたりコントロール下に置こうとしない(これやると逆に支配される)、「お前のせいで人生めちゃくちゃだ」などと怒りをぶつけない、
ただ
「こんにちは、また会いましたね」
とだけ挨拶して
「ちょっと急ぎますので、これで失礼します」
と別のことに意識を(できれば身体も)移していく感じです。
最初から逃げ腰だと、「後ろから襲いかかられそう」と気持ちが残ってしまうので、短めの相手を否定・拒絶しない対応、しかるのち挨拶して離脱、です。挨拶という儀礼は、擬人化して距離をあけたい悪感情にも意外と効果的です。
苦痛の「理由」を考えることは無意味です
「なんで私はこんな変なことを考えてしまうのだろう?(どこかおかしいのだろうか)」と考えるのは余計なことです。ヒトはときに苦痛そのものよりも、苦痛の理由が分からないことの方を耐え難く思うことがあるので、理由を与えてくれるアレコレを求めがちですが(許しがたいことに苦痛に理由をあてがうことを商売にしている人たちが大勢います)、あれこれ理由付けることで苦痛を増悪させてしまいます。
『この胡瓜はにがい』。棄てるがいい。『道に茨がある』。避けるがいい。それで充分だ。『なぜこんなものが世の中にあるんだろう』などと加えるな。
(マルクス・アウレリウス『自省録』第8章50)
侵入思考(Intrusive thought)は、望まないのに心に生じる非自発的な思考・イメージのことで、多くは不愉快・不快で、心を動揺させ、なのに除去するのが難しいと感じるものですが、それほど珍しいものではありません。