生物学はめちゃくちゃ役に立つ
出口:さきほど更科先生は、「生物学は役に立たないことかもしれない」とおっしゃっていましたが、僕は今こそ、たくさんの人が「生物学を学んだほうがいい」と思っています。
更科:どうしてそう思われるのですか?
出口:3つ理由があると思っていて、1つ目は、「人間は動物である」という基本を忘れないためです。
動物の一番大事な仕事は、子孫を残すことです。そのことがわかっていれば、上司に「仕事とデート、どっちが大事や?」と問われても、「デートに決まっているじゃないですか!」と言い返せるわけです(笑)。生物学を学べば、「動物としての当たり前のことがわかるようになる」こと。
更科:なるほど(笑)。
出口:2つ目は、ロジカルシンキングの考え方が身につくことです。日本人は、データを軽視して、自分のエピソードや思い込みだけで物事を判断する傾向にあります。「エピソードではなく、エビデンスで世界を見るべきだ」と僕はずっと言い続けてきました。データをベースにしない議論は、不毛です。
たとえば、新型コロナウイルス感染症に対する日本の対策を数字、ファクト、ロジックで解釈すれば、PCR検査にしても、医療崩壊にしても、日本のとった対策はベストではないにしろ、「そんなに悪くはない」ことがわかるはずです。
更科:その通りですね。それにしても、なぜ日本人は、ロジカルに考えるのが苦手なのでしょうか?
出口:製造業を中心とした工場モデルに過剰適応したためです。工場モデルでは、自分の頭で論理的に考える人よりも、「偏差値がそこそこ高くて、素直で、我慢強くて、協調性があって、上司や先生の言うことをよく聞く人」のほうが適応します。工場モデルを前提とした社会システムが、「会社に文句を言わず、疑問を挟まず、仲間と協調して、明るく淡々と働く人」をつくり出してきたわけです。
ですが今は、工場をつくって儲ける時代ではありません。自分の頭で考え、人とは違うアイデアを紡ぎ出すことが求められています。
そのために必要なのは、「数字・ファクト・ロジック」で考えることです。「数字」はデータ、「ファクト」はデータに関連する事項や過去の事実、「ロジック」はそこから実証的な理論を組み立てることです。
生物学や動物学は、生命現象を研究する自然科学の一分野ですよね。そして自然科学は、エビデンスベース、ロジカルベースで考える学問です。知識基盤社会の基本は、エビデンスベース、ロジカルベースでものを考えることですから、その訓練をするためにも、自然科学を学んだほうがいいと思います。
更科:世の中のさまざまな情報や物事と対峙するときは、私も「科学的に考えてみる」ことが大切だと思います。
1961年、東京都生まれ。東京大学教養学部基礎科学科卒業。民間企業を経て大学に戻り、東京大学大学院理学系研究科修了。博士(理学)。専門は分子古生物学。東京大学総合研究博物館研究事業協力者、明治大学・立教大学兼任講師。『化石の分子生物学』(講談社現代新書)で、第29回講談社科学出版賞を受賞。著書に『宇宙からいかにヒトは生まれたか』『進化論はいかに進化したか』(ともに新潮選書)、『爆発的進化論』(新潮新書)、『絶滅の人類史』(NHK出版新書)、共訳書に『進化の教科書・第1~3巻』(講談社ブルーバックス)などがある。
科学では、まず仮説を立てて、観察や実験で検証できれば「より良い仮説」になります。何度も支持されてきた仮説は「理論」とか「法則」と呼ばれるようになりますが、それでも、100パーセント正しいわけではありません。
ですが、「完全に正しくなければ役に立たない」わけではなくて、そこそこ正しければ十分役に立ちます。出口先生がおっしゃるように、世の中のさまざまな情報や物事と対峙するときは、思い込みを捨てて、「科学的に考えてみる」ことが大切です。
人間社会の「一番正しい理論」
出口:3つ目は、人間社会を律する「一番正しい理論」を学ぶことができるからです。僕は、社会構造や人間社会を律する理論は、おそらく、ダーウィンの進化論しかないと思っています。ダーウィンの自然淘汰説は、生物についての最高の理論ではないでしょうか。
ようするに、「いくら文明や科学が進んでも、将来、何が起こるか誰にもわからへんで」と。「生き残れるのは、賢い者や強い者ではなくて、運と適応だけやで」と……。
人間の社会も動物の社会の一形態ですから、生物学を学ぶことは、まさにこの「人間社会の一番正しい理論」を学ぶことになると思います。
更科:たしかに進化論は、生物学の柱になる理論ですからね。生物のすべての特徴は進化によって作られたものです。進化と関係のない部分は、生物にひとつもありません。偉大な進化生物学者であるテオドシウス・ドブジャンスキーも、「進化について考えない生物学には意味がない」と言っています。
出口:この3つの理由で、僕は「生物学はめちゃくちゃ役立つ」と考えています。そして、生物学を学ぶ一番いい方法こそ、「更科先生の本を読むこと」です。
『若い読者に贈る美しい生物学講義』は、リチャード・ドーキンスの『進化とは何か』に匹敵する、極上の入門書です。更科先生の本を読めば、楽しみながら、生物学の基本を学べると思います。