「あとは楽しむだけ」の状態にしてしまう
僕は「かけっこ」が好きで、必ず他人も「そこ」に存在している。そもそも一人じゃ「かけっこ」は楽しくない。だからこそ、「自分の走り」は練習の段階で叩き込んでおく。それ以上のものは「かけっこ」が教えてくれる。もっと言えば、自分の走りより「かけっこ」に集中しているかも。
だから、レース前に
「自分の走り」をしてきなさい。
「自分のレース」をしてきなさい。
では、遅いと思う。
自分だけのものは、練習の時に繰り返し繰り返し叩き込み、完成させておく必要がある。
つまり、レース前に、
「自分の走り」をしなくては。
「自分のレース」をしなくては。
っていう心境や心理になるようでは、すでに競走やかけっこっていう舞台に乗り遅れてるんじゃないかな? 要するにできる時にできることをやっておかないと、本番でできないよってこと。
試合の時には完成していて、あとは本番のコントロールできない空気にまかせちゃう。まかせられるほど自分自身を本番までに仕上げられていないから、そういった言葉を呪文のように唱えなきゃいけないわけだよ。
だから極論、最後は「楽しむだけの状態」にしておくこと。
それ以外にやることや、考えることが残っているから、余計なことをしてしまう。
楽しむ以外のことを考えるから、結果、本番を楽しめなくなるんです。
だから、楽しむ以外のすべてのことは練習の時にやってしまうことが大事なんです。
練習が大事なんじゃなくて、練習の時間に何をするかが大事なんです。
(本稿は、末續慎吾著『自由。──世界一過酷な競争の果てにたどり着いた哲学』の内容を抜粋・編集したものです)