一方、大変なせっかちです。対談をしていても30分ほどすると立ち上がって、「ちょっと散歩してくる」と、対談相手が呆然としているのに部屋を出てしまいました。

 対談は文春社内で行われていたので、私も席を外して、一緒に「社内散歩」に付き合います。「なんだか文春のビルも古ぼけちゃったなあ。文学もお先真っ暗だなあ」などと呟きながら(声が大きいので、呟いているというより叫んでいるのに近いのですが)壁に張ってあるポスターに目が行きました。当時、文春から出版されていた自伝『女優・岡田茉莉子』のポスターです。お若いころのまばゆい写真。

「マリコちゃんか。そうなんだよ、この子、本当にきれいだったんだよ」と子どもみたいに笑って「ポスターくれない?」

 ま、これは冗談だったみたいで、15分くらい会社を徘徊すると、また対談の部屋に戻ります。急に席を立った石原先生にポカンとしたままの対談のお相手も、ホッとした顔になって、対談再開。マイペースということなのでしょうか。

 こういう「かわい気」に負けて、また原稿を掲載してしまいました――。

ニコニコ顔の石原先生
しかし原稿には衝撃の一言が……

 文芸春秋の編集長時代、大部の論文が文芸春秋に持ち込まれたことがありました。こちらからお願いしたわけではなく、「時代に対してやむにやまれず書いた警世の論文だ」ということです。しかし、編集部にも都合があります。締め切り直前に400字詰め原稿用紙100枚もの原稿がくると、大体30ページ分。お願いしていた他の原稿を外すか、ページを増やすしかありません。増ページとなると、定価を上げねばならず、社長の許可が必要です。

 そこで、まず若い担当者とカットできる部分を考え、エンピツで原稿に書き込みました(編集作業として明らかな誤字脱字は赤字で、疑問が残る表現や編集者の疑問を黒エンピツで書き込みます)。