都会流と田舎流、それぞれの長所短所

 都会の暮らしはご近所さんとは基本的に没交渉である。挨拶くらいはするがそれまでで、余程のことがないとそれ以上の関係には発展しにくい。昔から住んでいる人が多い住宅地や理事会の活発なマンションはやや事情が異なるが、盛んにご近所付き合いをする人たちの裏には、「ご近所と関わらなくても結構です」というスタンスの人が多い。
 
 幼稚園や学校に通う子どもの保護者同士がつながると、ささやかなご近所コミュニティが形成されるが、田舎の町内会のような結束力、および拘束性はない。都会の町内会に参加する人もコミュニティが成立していることを肌で感じるであろうが、都会で町内会を運営している人に聞いた話では、参加しない人の割合が圧倒的に多いそうである。
 
 筆者は人付き合いが苦手で、都会暮らしのご近所の没交渉は性に合っていて、心安らかなるものだった。よって、田舎暮らしの密なご近所付き合いは、全く性に合わない…かと思いきや、身を染めてみればすごく楽しい。

 関係が深まる、または広がれば楽しさは一層増す。特にお隣さんは神のごとき慈愛で我が世帯を何かと気にかけてくれ、先日はとうとう娘の保育園の迎えのために車を出してもらうまでに至った。甘えすぎることのないようくれぐれも自戒が必要だが、このように、生活の中で偶発的イベントとして発生する難所にご近所さんが大いなる力を貸してくれることもある。ご近所付き合いは種々の点で有益なのである。
 
 とはいえ、ご近所付き合いがただの楽園かというとそんなことはもちろんない。まず密な付き合いを時に気詰まりに感じることがある。ただし、これは一時的に付き合いを避ける立ち回りをするなどしてあんばいを調節できるので、さして問題ではない。問題は折り合いの悪いご近所さんの存在である。ご近所付き合いは、『あつまれ どうぶつの森』の住民との交流のように善意の応酬だけでとは当然いかない。

 事実、筆者は数日前から町会長とゴミの出し方を巡って反目し合うという、実にせこくてくだらない、しかし重大な難局に直面している。人間社会であるから対立が生まれるのは常だが、これがご近所付き合いのもっとも面倒な点でもある。
 
 なお今回の町会長とのゴミ出し戦争は理想的には相互理解による和解だが、あの他人をいつ何時でも小馬鹿にしたような町会長の口ぶりを思い出すと胸がむかむかしてくるので、相互理解など目指さずいっそこちらから折あるごとに先方をイラつかせることに終始する(たとえば話しかけるときは赤ちゃん言葉を徹底し、町会長からの問いかけには全て屁のモールス信号で返事をする)のもいいかもしれないと考えている。

 平和な田舎暮らしのちょっとしたスパイスとして生活に張りが生まれている現状だが、相互理解を目指さない場合はそこに費やす労力がいかに非建設的かという自覚もあるので、町会長と距離を取って生活する(幸い家は離れている)のも前向きな一手である。相互理解ができなかった場合は、安息たるご近所の地が、町会長の家の前を通るときだけ、どす黒い気分になるが、いってみればその程度のことなので、“楽しく安心感のあるご近所ライフ”が損なわれるということもないであろう。