幽霊のようにならないために
大阪市天王寺区は、難波宮のいにしえから続く市内では珍しい高台で、この上町(うえまち)台地には聖徳太子ゆかりの四天王寺をはじめ、多くの寺院が連なっています。今回取り上げる白蓮寺もその中の一つですが、この掲示板自体は浄土宗の大阪教区でつくられたものなので、他のお寺でも目にした方がいらっしゃるかもしれませんね。
実は、この言葉が載っている原典はよく分かりません。しかし、多くのお寺の掲示板にお釈迦さまの言葉として登場しており、一般的には以下のような文で張り出されています。
思いわずらうな。なるようにしかならんから今を切に生きよ。
『心配事の9割は起こらない』というタイトルの本があるように、私たちは未来のことを無駄に心配して、いつも取り越し苦労をしてしまいます。とはいえ、新型コロナウイルスの感染者数が再び増加傾向にあり、感染の第3波がささやかれ、収束の目途が全く立たない状況下では、飲食業の方や受験生の方など、たくさんの心配事を抱えておられるのは致し方ないかと思います。
「思いわずらうな」と言われても、ついつい思いわずらってしまうのが私たちです。『京都新聞』の記事(2020年5月17日付)の中で、新型コロナウイルスの多くの情報によって冷静さを失い、心配している人々の姿を浄土真宗本願寺派僧侶の大來尚順師は「幽霊のようになっている」と指摘していました。それは「長い髪を引きずり、両手を前に出し、足がないのが一般的な幽霊のイメージだ。髪は過去への執着、手は先のことにとらわれて取り越し苦労をしている姿、足がないのは宙に浮いて今がないことを表している。」という記事でした。
足がないのは今がないことなのですね。みなさんは“幽霊”にならずに今に集中して生きることができていますか?私たちは人生設計と称して一生のプランを立てたりしますが、その予想通りに人生がうまくいくことなどまずありません。この世は諸行無常。この世の中に生きていると、想定から大きく外れた出来事が次々と発生します。ですから、「未来はなるようにしかならんから、今を大切にしなさい」ということが仏教では説かれるのです。
臨済宗妙心寺派僧侶の細川晋輔師は、仏教伝道協会の『禅僧のことば』という連載の中で、正受老人こと道鏡恵端(どうきょうえたん)禅師の「一日暮らし」という言葉を紹介していました。 「一日暮らし」とは端的に言えば、「今日一日が生涯だ」という気持ちで過ごす姿勢です。細川師は以下のようにおっしゃっています。
正受老人は、人生の中で一番大切なことは「今日ただいまの自分の心なのだ」とはっきりと言い切られるのです。戻らぬ過去を後悔してクヨクヨしてしまったり、未だ来てもいない明日というものに根拠のない希望を乗せるのではなく、今日ただいま目の前のことを一生懸命務めなければならないのです。そうしなければ、明日という日が有意義になるはずがありません。今日一日をしっかり務め、明日もまたそのような一日がくるようにしなければならないと伝えてくださるのです。
「今日一日というのは、一生涯の一日ではなく、『自分の全生涯が今日の一日である』と考える。自分の一生涯を今日この一日に詰め込んでいくべきだ」とは松原泰道師の言葉です。このように看る視点を少し変えると、今日一日に対する思いも変えることができると思います。
私たちの人生は非常に短く、限られたものです。目の前にある貴重な一日一日を大切にしながら生きたいものです。
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