子どもは「大人の本気」を察する

 Aさんにとっては悪夢そのものだが、子どもは皆笑顔である。子どもたちが笑顔でいられるのは、Aさんが苦しみながらも本気で楽しもうとしているからにほかならない。

「子どもだまし」という言葉があるように、大人は往々にして子どもを小手先でだまそうとする。子どもはそれに乗っかってくれることもあるが、子どもも子どもでちゃんと大人を観察している。Aさんの「本気」が子どもに伝わるからこそ、子どもはAさんを受け入れるのだろう。

 もちろん、多くの大人には大人の事情が多々あり、子どもの事情に付き合いきれない。それは大人と子どもの時間の使い方が違うからしょうがない部分でもあるし、Aさんにしても体力的な問題から最終的には付き合いきれていない。

 ただ、しつこく繰り返すが、子どもに伝わっているのは、Aさんが子どもたちの遊び方、時間の使い方、そして意思を最大限尊重し、付き合おうとしている点なのだろう。

「子ども扱いしない」とはどういうことか

 他の例も紹介したい。Bさん(37歳女性)も子どもに好かれる人物である。働く1児のママで、保育園の集まりがあると子どもはBさんを交えて遊びたがる。
 
「保育園の集まりなどでは、大人は大人同士で集まりたがります。私にもそうしたい気持ちはありますが、子どもが遊び始めるとそちらにまざって遊ぶことが多いです。
 
 子どもが何か遊びを始めるとき、大人は『○○に気を付けて』『遠くまで行かないで』と注意から入りがちですが、私の場合は『よし、一緒にやろう』とまざって普通に遊び、危ないと感じることがある度に注意したりサポートに入ったりします。そこが子どもにウケているんじゃないかと思います」(Bさん)
 
 子どもをどこまで子ども扱いするか、という議論がある。日々学習して成長する子どもなる存在に対して、危険や非常識を教えていくためにある程度の子ども扱いは必ず必要である。

 といって、子ども扱いのしすぎは子どもの自主性や快活さ、のびのび育とうとする活発な輝きを摘み取るおそれもある。さてどうしようかというところで上記の議論が生まれる。
 
 子どもには大人と対等に扱われることを喜ぶ傾向がある。これに関連して、子どもは自分と同じ目線を持とうとしてくれる大人が好きだ。Bさんは子どもに対して「私は大人だよ」という構え方をしない。「注意から入らず、一緒に遊ぶところから始める」というアプローチには、子どもと同じ目線でスタートして、要所要所でさりげなく大人の責任を発揮して子どもを誘導していく。すなわち、子どもに「子ども扱いしているよ」とあまり感じさせることなく、必要に応じて“子ども扱い”を取り出しては施している。うまいやり方であり、スマートに子どもを尊重できている。