「無策」を放置して、「国民一丸となって頑張るぞ」と突き進むと、結局最前線で戦っている人たちや国民に、多数の犠牲者が出る。そんな悲劇が過去にもあった。そう、先の太平洋戦争だ。

 いろいろな分析がなされているが、日本が戦争に敗れてしまった原因の1つに「無策」があったということに、賛同する方は少なくないのではないか。

 その象徴が、一説には140万人とも言われる日本軍の膨大な餓死者だ。自身も復員経験のある歴史学者の藤原彰氏の『餓死した英霊たち』(ちくま学芸文庫)によれば、日中戦争以降の軍人・軍属の戦没者数約230万人のうち、140万人(全体の61%)は餓死、もしくは栄養失調による病死だと推察されるという。

「国民のがんばり」に頼って
大量の犠牲者を出した戦時中の教訓

 なぜこんなことが起きたのかは、専門家によって意見もさまざまだ。「兵站」を軽視していたという人もいれば、「いや、日本軍のインフラは当時でも世界トップレベルだった。能力以上に戦場を広げすぎたことが敗因だ」という人もいる。

 いずれにせよ、「お国のために1人でも多くの鬼畜米英を殺して来い!」と送り出され、時に玉砕まで命じられた日本の若者たちの多くは、戦闘ではなく飢えや病で亡くなっているのだ。「無策」のツケを「国民のがんばり」で払うという意味では、これほどわかりやすく、これほど残酷なケースはない。

 もちろん、この構造は戦地の兵士だけではなく、国民にも当てはまった。「欲しがりません勝つまでは」などというスローガンのもとで、「贅沢は慎め」と自粛ムードが社会を支配する中で、国民一丸となって頑張った。飛行機をつくる鉄が足りないと鍋や釜を差し出して、食料も取り上げられて「経済死」をする人もたくさんいたが、「戦地で戦う兵隊さんのため」と文句を言わずに歯を食いしばった。

 しかし、戦地で140万人の餓死者が出たことからもわかるように、この「国民のがんばり」は意味がなかった。戦争に負けたのは、日本人の「がんばり」が足りなかったからではなく、もっと根本的な国家の方針や、戦争のやり方が間違っていたからだ。