冬はマイナス30度、あばら屋で送った極貧生活

 チェ・ホアは、1974年、中国東北地方の郊外の村で生まれた。両親ともに朝鮮族。弟と妹を持つ三人きょうだいの長女だ。

 中国に居住する朝鮮族には大きく二つの「パターン」があるという。一つは清朝初期に移住してきた「古くからの朝鮮族」、もう一つは日本による韓国併合以降に「満州」に移住してきた「新しい朝鮮族」である。チェ・ホアの一家は後者にあたり、親戚の多くは今も韓国で生活しているという。

 中国朝鮮族(韓国系中国人、朝鮮系中国人などという呼称もある)は中国における少数民族の一つであり、現在約200万人存在するといわれている(黒竜江省に約45万人。もっとも多いのが延辺の朝鮮族自治州で80万人)。中国の東北地方(旧満州)にその大半が居住し、日本における朝鮮学校と同様、東北地方各地に朝鮮族専門の小中高校があり、国籍は中国でありながら、朝鮮族特有の教育を行っている。

「子供の頃は本当に貧しかったですね。家は土とレンガでできた平屋で、玄関を入ると土間があって、そこにいろんな家畜がいました。牛、豚、馬、ニワトリ、犬。あと、六畳と四畳半くらいの部屋が二つ。暖房はオンドル(床下暖房)だけ。私の田舎のあたりは、冬になるとマイナス30度くらいになってすごく寒い。でも、子供の頃はそんなに辛いと感じたことはないですね。それが当たり前だったし、スケートをして遊んだり、子供は平気なんですよ。でも、年寄りたちは大変だったみたい」

「日本にいる朝鮮族のネットワークは結構なもので、バレたら色々大変なので……」と、出身地の詳細を明かすことは許されなかったが、今も朝鮮族が多く暮らしているその村で生活した日々は、鮮明に脳裏に焼き付いている。

「私が生まれ育った村は、今でこそ開発が進んでけっこう便利になったけど、昔は何もなかった。服を買いに行くにも歩いて2、3時間かけて街まで行く。でも、めったに街に行く機会なんかありません。ましてや私の住んでいた省の最大の都市、A市なんて夢のような場所でした」

 チェ・ホアが暮らしていた村では、基本的にどの家庭も自給自足のような生活を送っていた。現金収入を得るため、彼女の母親はキムチやどぶろくを作り、ニワトリの卵を集め、それを近隣の町に持って行く。そこで暮らす漢民族を相手に路上で売り歩くためである。「でも、そういう人(食べ物を売る朝鮮族の女性)はいっぱいいるので、現金を得るのはすごく大変なことでした」と語る。

「うちの父は悪い人じゃないんだけど、あまり働きません。農作業も母に任せて、自分はお酒を飲んだり、麻雀に行ったり。周りもそういう男の人は多かったですね。表向きは威張ってるんですが、女が家庭を仕切っている。そういう父を恨みながらも、私自身は、父のことは嫌いじゃなかった。私のことはすごく可愛がってくれたし」

「自分自身は、母に似てとても働き者だと思います。あと我慢強い性格だと思う。お金を稼いだり、貯めたりすることも得意なほうだと自分では思ってます。とにかく、子供の頃は、日本にいたら想像できないような貧しい環境で育ちました」

 現在では、あばら屋のような生家はなく、その跡地には立派な、日本の公団マンションのような集合住宅が建っている。