この記事のことは、以前にも当連載で少し書きました。後に作家となる麻生幾氏が週刊文春記者として、文字通り地を這う取材で、「神戸のアリモト」としかわからない人物を探り当て、数カ月の欧州取材の結果、有本恵子さん、石岡亨さん、松木薫さんの3人の家族を説得して、記者会見にまで漕ぎ着けたのです。

 記事は、何週にもわたって掲載されました。まずは、失踪した3人の下宿先の英国人などが、「仕事ができるような英語力はまだ身についていないのに、仕事を斡旋してくれる人が見つかったというので反対した」と証言し、周辺に怪しげな東洋人の動きがあったこと、石岡亨さんがいたスペインには、日本人同士で集まるアジトのような宿舎があり、そこには、いわゆる左翼学生らしき人物が出入りしていたことなどが、明らかになりました。

 それだけではありません。麻生氏がインターポールに取材をすると、日本人を食事に誘ったり、アムステルダムなど、東西冷戦の狭間で諜報機関が暗躍する場所に「仕事がある」とグループで移住をもちかけていたりした人物が浮かび上がっていました。

 その男の名前は、キム・ユーチョル。日本人の協力者と一緒に、次々と日本人を北朝鮮に連行していた北朝鮮の外交官であり、実際は諜報員でした。

有本恵子さんの手紙が
拉致報道の流れを変える

 記事は、日本の報道機関より世界の報道機関の注目を集めました。なにしろ、米国のCIAが「この記事の信憑性はきわめて高い」と西側諸国の大使館に回覧を促したくらいなのです。

 もっとも、当時の日本のメディアは北朝鮮にも拉致にも無関心。あるいは、わざと無視(平壌支局を置きたいという希望が各社にあり、この問題を避けていたようです)を貫き通していました。なぜ、続報しないのかと各社に聞いても「公安による謀略報道」扱いだったのです。

 その流れを少し変えたのが、私が入手した手紙です。記事は、当時有本さんの実名を出していません。しかし、編集部にかかってきた女性の電話は、しっかりしたものでした。

「記事のAさんは、多分有本恵子さんのことだと思うのですが、どうでしょうか」

 個人情報なので慎重に私が話をしていると、実は彼女が欧州滞在中にずっと文通をしていたのに、急に連絡を断ったため、とても心配していたといいます。