「自分の人生を自分で考えられる力」を磨く
柏木:ヘルスリテラシーの話なんですが、緩和ケアに限らず、どういう医療がいいかというのは、結局は医療受益者が何を求めるかによって決まるんです。究極的には患者さんと家族の問題ですから。だからヘルスリテラシーを向上するにはどうすればいいか、なんていうことはよく考えます。
後閑:「ヘルスリテラシー」について、わかりやすく言うと?
柏木:ヘルスリテラシーは、健康面での適切な意思決定に必要な基本的健康情報やサービスを調べて、それを得られて、理解して、効果的に利用できる個人能力。たとえば健康問題とか、人生の最終段階に対して自分で考えられる力。
ぼくらなりにACPがどうとか、この人の価値観はどうかとか考えたり努力したりするじゃないですか。でも、「本来はあなた自身のことだから、自分で事前に考えるべきことだけど、あなたにはできないでしょ。だから我々(医療者)が色々な工夫をしているので従ってください」というような構図に感じてしまう時があります。つまり、今はあまり共同作業的な感じがしないんです。患者さん自身にも「自分はこういうことが大事です」「こういう医療支援を求めています」ということを考えられる能力を向上させることへの意識を高めてほしいですし、我々の支援の方向性も変えていかないといけないかなと感じます。
後閑:どちらかに任せっきりになるのではなく、医療者と患者さんや家族と一緒になって考えていかないといけないですよね。
柏木:ぼくらはそこをアセスメントするんですよ。ヘルスリテラシーの程度とか、伝える情報量だったり伝え方だったり、考えるんだけど、一方で「自分のことなんだから自分で対処できるように能力を磨く」っていう発想自体ないじゃないですか。我々も含めて。だからそこはぜひ取り組めたらなって思いますね。
知識があって行動できる人でないと支援は得られない
後閑:一緒に働いていた看護師が、お母さんが末期のがんでそんなに時間がないとなったときに、3ヵ月取れる介護休業制度を使って、自宅で介護して看取ったんです。当初は余命1ヵ月くらいだろうと思っていたらしいんですね。だから最後は家で看取ろうと。1ヵ月くらいは一緒に過ごし、多少前後することを想定して、その後の葬儀なども含めても3ヵ月もあれば十分だろうと思っていたんです。周りも「わかった、あとのことは任せて」と送り出したんですが、結局1週間で亡くなられてしまい、葬儀などを済ませて1ヵ月で戻ってきました。けれど、「最後の一週間だったけど、一緒にいられてよかった」と言っていて、「仕事がんばりなさいっていつも言っていたから、早く仕事をしてほしくて予想より早く逝ったのかもね」という話をされていました。大切な人だからこそ、時間の長さではなく使い方にこだわってほしいし、そういう制度もあるんだから活用できたらいいなと思います。
柏木:そうですね。いくつかハードルはあって、そもそも制度自体知らなかったり、制度は知っているけれど職場の雰囲気が許さない、また、制度も職場としても活用できるんだけれど、みんなに迷惑をかけるんじゃないかとそれを活用する自分に葛藤がある。よく聞く、ありがちな理由ですね。
何を大事にするかは人それぞれでよく、制度を活用しても活用しなくてもいいけれど、そういう本人が活用できる制度を知らされないというのは権利擁護の観点からよくないと思うんです。だから、職場に対して調整しやすくなるような見通しをお伝えするとかいう、情報提供をしなくていいのかなとか思うことがあります。
後閑:進行がんなら障害年金もらえるとか、そういうことも知らないと、知らないままで終わってしまったりしますよね。
介護保険も40歳過ぎたら勝手にお金は引かれるのに、介護が必要になっても申請しないと制度は使えないですよね。知らないことが悪い、知らない人が損をするというのではなく、自分が知らなくても知っている人が助けてくれるとは思うんです。けれど「助けて」と言わないと助けてはもらえません。