「丼」に見る「日本」のブランド力

1970年、マレーシア北部の街アロースター(Alor Setar)に生まれる。1990年、マラヤ大学に入学、マハティール首相(当時)が推進した「ルック・イースト政策」の第7期生として群馬大学工学部に国費留学生として留学。1995年に東京三菱銀行(現・東京三菱UFJ銀行)に入行、マレーシアに赴任する。1998年に同行を退社、マレーシア国際貿易産業省に入省。2005年マレーシア貿易開発公社・大阪事務所に所長補佐として再び来日。マレーシア政府出資のジョム・マレーシア(株)代表取締役社長を経て、2010年、ハラル産業を広めるためマレーシア・ハラル・コーポレーション(株)を設立、現在に至る。

 マレーシアのレストランでは「丼(Don)」とついているメニューは必ず売れる。ステーキ丼しかり、親子丼しかり、唐揚げ丼しかり。日本のものを食べたい、日本のものは身体にいい、ということがマレーシア人のあいだでは常識になっているからだ。

 「丼」に限らず、日本のブランド力はすごいなあ、と思う。家電の分野では最近、韓国のサムスンやLGの製品が増えているけれども、それでもまだまだ日本のメーカーは人気がある。また、ビジネスで海外に行く時に日本人と一緒にいて日本語を話していると、相手から簡単に信頼してもらえる。

 僕の母国マレーシアに限って言えば、日本はいつの時代も自分たちの「味方」だった。マレーシアは1957年に独立するまで(国の成立は1963年)イギリスの植民地で、第二次世界大戦中の日本の「侵略」は、マレーシア人の目には「解放」と映っていたのだ。そして、その歴史感覚は現在まで続いている。首都クアラルンプールの街中で「日本は好きか?」と聞けば、小学生から居酒屋の主人までみんなが口をそろえて「イエス」と答える。あるアンケート調査では、その割合は70%にのぼるらしい。

 日本にいると、「日本は世界で落ちぶれてしまった」とか、「日本のブランド力は地に落ちてしまった」とか、ネガティブなことがよく言われる。けれど、僕からすれば、その見方は現実と全然あっていない。

 僕がいろいろな国の人を通して肌で感じるのは、日本や日本人への「信頼」や「あこがれ」は、今も昔もまったく弱まっていない。先に書いたマレーシアの話は、他のアジアの国々や欧米にもあてはまる。