2013年以後、寒冷地での生活保護の暮らしは、厳しさを増し続けている。生活保護で暮らす人々は、壊れた電気製品や老朽化した暖房器具の買い換えが難しい中で工夫を重ね、厳冬期の身体と生命を守る努力を尽くしている。人との付き合いには費用が必要なので、食を削ってその費用を捻出する。

 食を含めて削れる要素がなくなると、付き合いを控えることになる。それは、「制度化された貧困がもたらす孤立」という人災である。しかし判決要旨を見る限り、生活保護基準が各個人にもたらした負のインパクトの数々は、「全く」といってよいほど考慮されていない。

 政策や施策が個人に与える影響は、個人差が大きい。このため、個人の損失に注目すると、「個人差があるのだから、全体では損失とは言えないかもしれない」という反論を招く可能性がある。この可能性は、同じ裁判長による同性婚訴訟の判決でも考慮されたようであり、個別具体的な問題には踏み込まず、大枠の議論から画期的な結論を導いている。

 しかし生活保護の訴訟においては、「生活が苦しくて1日1食しか食べられない」という訴えは、「同じ金額で1日3食食べている人もいる」という論理によって退けられることが多い。1日1食の人は野菜やタンパク質源を含む健康的な食事を摂っており、1日3食の人の1日の食事は3個98円の冷凍うどんなのかもしれないが、そういった差異はあえて無視される。

 また、「服が買えず人間らしい生活ができない」という訴えは、「日本の別の地域には裸族もいる」と反論されるかもしれない。まるでギャグだが、これは過去の裁判での実話である。

 生活保護で暮らす人々1人1人の生活に踏み込まず、不毛な応酬を避ける判断は、裁判官のスタンスとしては「アリ」だ。では、大枠の判断はどのようになっているだろうか。

結局は国にお金を
出させたくなかったための判決?

 判決は、厚労大臣の裁量権の逸脱と言えるかどうかを焦点化した。このこと自体は、当然と言えば当然である。しかし判断内容を見ると、ツッコミどころのオンパレードだ。判決骨子から、1点だけ取り上げて解説したい。