関東大震災(1923年)の翌年に開校した桜蔭女学校。木造の仮校舎に次いで、1931年に竣工した本館は大林組の設計・施工。爾後90年間、この地で桜蔭生と共にある

日本の女子中高一貫校の中でも、突出した位置にいるのが桜蔭だろう。かつては「桜のカーテン」といわれるほどその内情はメディアには語られず、OGの口から漏れる断片をつなぎ合わせて推測するしかすべはなかった。来る創立100周年に向け、東館建替も始まる。東京大学に日本一進学する女子校に、森上展安・森上教育研究所代表が初めて足を踏み入れた。(ダイヤモンド社教育情報、撮影/平野晋子)

齊藤由紀子(さいとう・ゆきこ)
学校法人桜蔭学園理事長、桜蔭中学校高等学校校長

学校法人桜蔭学園理事長、桜蔭中学校高等学校校長。27回生。お茶の水女子大学文教育学部文学科国文学国語学専攻、同大学院人文科学研究科日本文学専攻修士課程修了。専攻は近世文学。母校に国語科教師として赴任し、2017年から現職。
 

3分の2を占める理系の生徒

 横浜のフェリス坂(西野坂)と乙女坂、浦和一女のあひる坂など、高台にある名門女子校に坂道はつきものである。関東大震災後、高松・松平家の邸宅を二分して造られた坂は忠弥坂と名付けられたが、今では桜蔭坂とも呼ばれる。この胸突き八丁を上りきると、左手には築90年になるスパニッシュ様式の桜蔭学園本館がある。

――先生は中高の校長と理事長も兼ねていらっしゃる。

齊藤 小さな学校ですので、昔から校長は理事長を兼任しています。

――東京女子高等師範(現・お茶の水女子大学)の同窓会である桜蔭会が本校の設立母体となるわけですね。

齊藤 現在、東京医科歯科大学のあるJR御茶ノ水駅前にお茶の水女子大学の前身である東京女子高等師範学校があり、本校の敷地にはかつて桜蔭会の事務所がありました。ところが、関東大震災(1923年)により、本校舎、事務所がいずれも焼失してしまいました。

 桜蔭会の方々は、卒業後教員として働く当時としては数少ない女性の団体であり、自分たちの理想の女子教育を行う学校をつくりたいという気持ちをお持ちだったようです。9月に震災があり、12月に最初の理事会で設立を決め、翌1924年3月には当時の東京府知事から設立許可を得て、4月に開校(第1学年100人)しています。最初は仮設の木造校舎でしたが、少しずつ校地を広げ、1931(昭和6)年3月に現在の本館が竣工しています。

[聞き手] 森上展安・森上教育研究所代表
1953年岡山生まれ。早稲田大学法学部卒。学習塾「ぶQ」の塾長を経て、1988年森上教育研究所を設立。40年にわたり中学受験を見つめてきた第一人者。父母向けセミナー「わが子が伸びる親の『技』研究会」を主宰している。

――今回初めて本館の中に入りましたが、立派な建物です。現役で使用されているのですね。

齊藤 大林組設計・施工の頑丈な校舎です。本校の近隣には、昭和第一高校本館や旧元町小学校のように、同じ時期に建てられた鉄筋コンクリート造りの丈夫な建物が他にもあります。

――今年も東京大学に71人が合格され、全国ランキング7位、女子校で唯一ベスト10に入っています。理IIIには昨年同様8人ですか。すごいですね。

齊藤 昨年は新型コロナ禍で大変な年でしたが、生徒たちが頑張ってくれました。オンラインで4月末から課題を送ることができましたが、もう高3生ですし、やるべきこともやり方も心得ていますから、マイペースできちんとできていたのではと思います。

――理系の生徒が多い印象で、医学部にも多く進んでいます。

齊藤 3分の2の生徒が理系です。そのうち半分くらいは医学部に進んでいます。とはいえ、文理でのクラス分けはしていません。高2から、理系の人は物理を、文系で国公立大学を受けようという人には日本史といった具合に選択科目を設けて対応しています。私立に絞るという選択もできますが、多くの人が国公立受験に対応した選択をします。