互いの個性を認め合いながら一体化
スタンフォード大学・オンラインハイスクール校長
経営者、教育者、論理学者
1977年生まれ。スタンフォード大学哲学博士。東京大学文学部思想文化学科哲学専修課程卒業。教育テクノロジーとオンライン教育の世界的リーダーとして活躍。コロナ禍でリモート化が急務の世界の教育界で、のべ50ヵ国・2万人以上の教育者を支援。スタンフォード大学のリーダーの一員として、同大学のオンライン化も牽引した。スタンフォード大学哲学部で博士号取得後、講師を経て同大学内にオンラインハイスクールを立ち上げるプロジェクトに参加。オンラインにもかかわらず、同校を近年全米トップ10の常連に、2020年には全米の大学進学校1位にまで押し上げる。世界30ヵ国、全米48州から900人の天才児たちを集め、世界屈指の大学から選りすぐりの学術・教育のエキスパートが100人体制でサポート。設立15年目。反転授業を取り入れ、世界トップのクオリティ教育を実現させたことで、アメリカのみならず世界の教育界で大きな注目を集める。本書が初の著書。
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出口:ホモ・サピエンスの歴史を20万年の流れの中で見ていくと、産業革命以前の教育は、人生が教育であり、生活が教育であり、教育は生きることの一部になっていました。
たとえば、鍛冶屋さんになりたいと思ったら鍛冶屋さんに弟子入りし、朝から晩まで仕事をする。そこで鍛冶屋の仕事を教えてもらう。そこで受けた教育は、彼自身の生活であり、人生そのものです。
ところが、「産業革命」と「ネーション・ステート(国民国家)」という2つのイノベーションが当時の社会を一変させました。
産業革命は、均質な労働者を必要とします。どこの工場にも最低限のマニュアルがある。労働者には最低限、識字能力が求められるし、部品の数を数える計数能力も必要です。そこで、「学校を整備しなければならない」というニーズが生まれてきました。
一律の学校教育は、均質な労働力を確保するために一番効率がよかったわけです。
そして、学校という仕組みは国民国家の国民皆兵にも最適でした。
つまり、産業革命によって、人生や生活と教育が最終的に切り離されたのです。
ですが、「本来的には、教育は人生そのものである」という考え方を忘れてはいけないと思います。
ベーシックな教育が行き渡っていない段階では、全国一律の学校制度の中で主要科目を教えるのが効率的です。
でも、それがある程度行き渡ってきたら、分散させ、自由に、それぞれの個性に応じて勉強させなければいけない。
僕は、「個性は性差や年齢差を超える」と思っています。
人間はいろいろな意味で、グラデーションの中で生きているのですから、男性の特性はこう、女性の特性はこう、日本人はこう、外国人がこうという二項対立で考えるのではなく、「違う個性を持つ人たちがグラデーションで集まって世界をつくっている」ということを決して忘れてはならないと思います。
星:今後社会が進む方向性は、やはり分散化だと思います。
分散化というのは、分断とは違います。出口先生がおっしゃるように、性別、年齢、国籍、文化、価値観など、さまざまなバックグラウンドを許容しつつ、お互いを認め合いながら一体化を目指していくことがますます大事になるはずです。
(了)
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