看取りに接する医師と看護師が伝える、<br />医療者まかせの看取りが怖い訳
中山祐次郎(なかやま・ゆうじろう)
1980年生まれ。聖光学院高等学校を卒業後、2浪を経て鹿児島大学医学部医学科を卒業
その後、都立駒込病院外科初期・後期研修医を修了。2017年2~3月は福島県広野町の高野病院院長、現在は郡山市の総合南東北病院で外科医長として勤務。資格は消化器外科専門医、外科専門医、がん治療認定医、感染管理医師など。モットーは「いつ死んでも後悔するように生きる」。Yahoo!ニュース個人連載では2015年12月、2016年8月に月間Most Valuable Article賞を受賞。著書には『幸せな死のために一刻も早くあなたにお伝えしたいこと』(幻冬舎)、『医者の本音』(SB新書)、『泣くな研修医』(幻冬舎)がある。

後閑:私もお葬式に行ったことがある患者さんがいます。

その患者さんは90代の女性でした。経鼻経管栄養で最期まで生かされ、痰も多かったのでよく吸引したりしましたし、体がむくんだりもして辛い思いをさせてしまった患者さんでした。

90代のご主人と息子さんがよくお見舞いに来ていました。最期は夜中の0時くらいに、もう呼吸が止まりかけてると思ったのでご家族を呼んだんです。ご主人と長男さんご夫婦がすぐに駆けつけてくれました。患者さんは、ご家族が来たらちょっと元気になって、目を開けてご主人を見ていたんです。

長男さんは私たちスタッフの分までジュースを買ってくれて、患者さんを囲んでみんなでそのジュースを飲みながら、思い出話とか患者さんのことを話したりしていました。

朝方6時くらいになって、それこそ仲直りの時間だったんですけど、患者さんが持ち直したように見えたんです。すると、今度は高齢のご主人のほうが心配になったので、「いったん帰られて、休まれたほうがいいんじゃないですか。私たちが見ていますから」と提案しました。長男さんも、自分が残るからと言ってくれて、ご主人とお嫁さんは一度家に帰って休み、お昼頃にまた来ます、ということになったんです。

けれど、二人が帰って30分後に患者さんは息を引き取られました。あの時、帰っていいなんて言わなければよかったという思いが私に残ったんです。

長男さんは、自分がいたから最期を穏やかに看取ることができたと言ってくれたし、ご主人も急変を連絡するとすぐに来てくれたので、息を引き取る瞬間に立ち会うことはできなかったけれど一晩一緒にいられたからよかったと言ってくれたんですが、それでもちょっと心につっかえるものがあって、お葬式に行ったということがありました。

けれど、こうしてその人だけを特別視していいのだろうか、じゃあ他の人はどうなの、これはやっぱり続けられないから、少しだけ距離をとろうと思いました。以来、近づきすぎず、ちょっとだけ距離をとるということを意識しています。

中山:看護師さんは医師よりも患者さんと距離が近いですよね。そうすると、やっぱり医者よりも患者さんに感情移入しやすいでしょうし、看取るのは辛いだろうと想像しますが、どうですか?

後閑:今は結構、自分を客観視できるようになった部分もあります。たとえ理不尽な死であったとしても、今は辛いことになっているとしても、それ以前にたくさんの選択をしてきた結果であるわけで、本人やご家族が思ったようになってはいなかったとしても、その選択をした時は最善だと思ったことを選択し続けてきたわけです。なのに今、苦しい思いをしているのは、病気や老化のほうがその一枚も二枚も上手だったというだけです。その人たちが最善と思われることを選択してきたんだと思って、今を否定せずに接するようにしています。

とはいえ、心のバランスをとるのはすごく難しいと思いますね。医療介護職は感情労働ですから、自分の感情をコントロールしないといけない。そんなふうに見えてはいないという方もいらっしゃるかもしれませんが……。中山先生は、どうやってメンタルをコントロールしていますか?

中山:痛く飲むと書いて「痛飲」するという言葉がありますが、僕は本当に文字通り痛飲していて、自傷行為そのものでしたね。すべてを客観視して、他人事にしてこなしていくのは違うと思っています。

毎回落ち込んだり傷ついたりしているのは危ないし、それでは持たないとは思うんですが、それが正しいと僕は思っているんですよ。危険な思想だとは思いますけどね。

後閑:医療者も患者さんの死に対して、家族と同じ悲しみではないけれど、悲しんでいることをわかってもらいつつ、ともに看取りを穏やかな最期へと着地させるためにはどうしたらいいかを考えてほしいと思います。