ビアフラ共和国が独立を宣言した背景には、ナイジェリアの民族対立がある。

 ナイジェリアは250以上の民族・部族からなる多民族国家で、北部にはハウサ族(イスラム教徒が多い)、南西部にはヨルバ族(キリスト教徒とイスラム教徒が混交)、南東部にはイボ族(キリスト教徒が多い)が分布している。この三大民族のうち主導権を握っていたのはハウサ族で、原油や天然ガスの埋蔵地域に暮らすイボ族は資源の恩恵を享受できずにいた。

 そこでイボ族のオジュク中佐がナイジェリアの中央政府に対し、ビアフラ共和国として独立することを宣言したのである。

 もちろん、ナイジェリア政府はビアフラ共和国の勝手な独立を認めなかった。独立宣言直後に経済封鎖を行ない、「ひとつのナイジェリア」を掲げてビアフラ軍と戦闘を開始する。いわゆるビアフラ戦争である。最初のうちはビアフラ軍が優勢だったが、やがて政府軍が反攻を強め、首都を占領。ビアフラ側は国際社会からの承認をほとんど得られなかったこともあり、一気に劣勢になった。

 やがてビアフラ側では食糧不足が深刻化し、戦争末期には200万人以上が餓死してしまう。こうしてビアフラ戦争は、ナイジェリア政府の圧勝で終結。明るい未来が待っているかに思えたビアフラ共和国は、建国から2年6ヵ月後の1970年1月に世界地図から消え去ることになったのである。

 ビアフラ戦争の悪夢からすでに50年以上経つが、ナイジェリアはいまも民族や宗教による格差が是正されていない。政府や軍では北部出身者が優遇され、ビアフラがあった南東部の人々は冷遇されているといわれる。戦争のきっかけになった長年の対立構図はしばらく消えそうにない。

エジプトとスーダンが
互いに押しつけあう「無主地」

 古来、土地の領有権をめぐって数多くの争いが起こってきた。多くの国が自国の領土は広ければ広いほどよいと考えるからだ。

 ところが、「この土地はいらない。お前、とっておけ」「いや、こっちもいらない。お前こそ自国に編入しろ」と、手つかずの土地を押しつけ合っている国がある。その国とはエジプトとスーダンだ。