「委嘱状 ○○大学 ○○○○ 貴君に当委員会のオリンピック東京大会選手村給食業務要員を委嘱する 昭和三十九年一月一日 社団法人日本ホテル協会 オリンピック東京大会選手村給食業務委員会 会長犬丸徹三(注・帝国ホテル社長)」

 選手村食堂は「富士」「桜」と名付けられ、国や地域別に分かれて合計12室あった。ここに都内の大学の観光事業研究会やホテル研究会の学生が各室に分かれて業務を担った。

 明治大観光事業研究会からは約50人の学生が参加している。同大法学部3年の谷口恒明は「キャプテン」として、学生たちがそれぞれの持ち場で働けるようとりまとめていた。こうふり返っている。

「混雑して人手が足りなくなると、他の食堂に応援を求めるなど、学生をうまく配置できるように調整していました。研修は念入りに行われ、ナイフとフォークの使い方、食器の片づけ方や磨き方などを教えてもらいました。当時、学生の身分では体験できないような西洋式スタイルで、たとえば、バターがいくつにも刻まれて氷の上にのっかっており、いくらでも使っていい。こんな豊かな世界があるのだなと思いました」

 当初、日本ホテル協会は学生に無償で働いてもらうつもりだったようだ。これについて、外国人と触れ合う機会はお金に代えられず、貴重な体験になるから給料はいらないという学生がいた。一方、無給というのは話が違う。私たちは授業に出ず朝早くから働くのであり、相応な給料をもらう権利がある。お金が出ないならば辞めさせていただくと話す学生もいた。

 結局、ホテル協会は学生に給料を払うことになった。無償ではなかったわけだ。

 谷口は続ける。

「ホテル協会の人たち、そして全国のホテルから派遣されてきたマネージャーや調理師の方々は、私たちが学生の身で社会的にも未熟なところがあったにもかかわらず、大人として紳士的に接してくれました。社会人の姿勢というものを実学として教えてもらい、人生の良い修業の場になったことに感謝しています」

 2020年東京大会において、選手村で働く学生がいるようであれば、しっかり経済支援してほしいと、谷口は訴える。

「選手村に入ると国籍を意識せず、その場の雰囲気に溶け込むことができます。今の学生は自然体で外国人と付き合える強みがあります。それをオリンピックでも発揮してほしい。私たちも食堂運営を通して、内外の選手や役員・スタッフの方々と直接交流の機会を持てたことを誇りに思い、今も語り継がれる学生時代の貴重な思い出となっている。また、JOCは選手村のスタッフなどの学生を動員として見るのでなく、そこで働いている以上は相応な手当てをしてほしい。そうでないと学生に気の毒です」

大学ホテル研究会

 立教大経済学部3年の油井隆一は、ホテル研究会の部員として選手村食堂「富士」で働いた。シェフは帝国ホテルの料理長、村上信夫である。そこで、油井は多くを学ぶ。外国人選手との触れ合いも多かった。オーストラリア選手の天真爛漫な明るさ、ソ連など共産圏の選手がどこか暗かったことが印象として残っている。油井は大学卒業後、父親が経営していた日本橋人形町「喜寿司」の店主となり、のちに広く名前が知られる。

 油井は、2016年にこうふり返っている。