立ち直りを目指す過程では、業績を実態以上によく見せるための大規模な「不適切会計」の問題が生じて、名門・東芝は東京証券取引所第1部から脱落する。この事案は、率直に言って会社ぐるみの粉飾決算だったが、長年の広告宣伝費が効いたものか、国策企業への遠慮があったのか、メディアの報道は必要以上に優しかった。

 財務的余裕と信用の両方を失った東芝は、医療機器や半導体といった将来成長が見込めそうな事業を売却し、今回の問題の遠因となる資金調達を行うなどで延命と再建を図る。「そうしないと生き残れなかった」ということなのかもしれない。しかし、普通の感覚の第三者が経営を眺めるなら、重荷である原発事業を維持するために有望なビジネスを売却するという、ほとんど「逆噴射」と言いたくなる錯乱経営だった。しかし、これこそが経済産業省と共に東芝が選択した道だった。

 そしてこの度は、昨年の株主総会に際してアクティビスト(物言う株主)の取締役人事案を退けるために、経産省と共謀して株主に不当な圧力をかけたとの嫌疑をかけられている。株主総会に提出する直前に人事案を修正したのだから、状況証拠的に東芝の経営陣には本件に関して、少なくとも「心当たりがある」のだろう。

 東芝は、つくづく悪い会社だと言うしかない。ただ、もちろん大多数の東芝社員は悪くないばかりか有能でもあるし、東芝の製品にも優れたものがある(筆者も愛用している)。

 本稿では、この東芝関連のもろもろから、怒りを抑えて(少しは怒るが)、一般市民及びビジネスパーソンにとって役に立つ「教訓」を七つほど、いささかの皮肉と共に抽出したい。

【教訓その1】
「問題の解決が私の責任」は通用しない

 不祥事を起こした企業の社長や政治家などが、「問題を解決することこそが私の責任だ」と言って、そのままポストに居座ろうとすることがある。しかし今回、永山氏の取締役会議長留任が否決されたことは、この言い分が以前よりも通用しにくくなったことを示している。