今回の永山氏の「問題」は前述の通りだが、昨年の株主総会の運営が不適切だったのではないかという嫌疑については事実の全貌が十分明らかになっていないし、問題があったとした場合に誰がどのような責任を取るのがいいのかが不確定的だ。

「第三者から見て」、自分自身に責任があるかもしれない問題の解明と処理に永山氏自身が関わることは、自分自身に不都合な真実を隠蔽する可能性が考えられるし、自分に有利な裁定に導こうとする動機が働くかもしれない、との疑いが消せない。つまり、永山氏はこの問題の解決に当たる責任者として(単なる関与者としてもだが)不適切なのだと、自ら理解しなければならない。

 経営者や大臣などの組織のトップにとって、自らに責任があるかもしれない問題を扱う際の責任者であり続けることは、「ほぼ例外のない一般論として不適切なのだ」と知るべきだ。「俺は余人をもって代えがたい」と本人が思い込んでいてもダメなのだ。

【教訓その2】
投資家は格好だけのガバナンスを疑え

「不適切会計問題」(より適切には「粉飾決算」だ)の際にも指摘したが、東芝はこの問題が生じる前から、コーポレートガバナンス(企業統治)にあって先進的とされる「委員会等設置会社」であった。

 しかし、不適切会計の問題だけでなく、今回は株式会社の企業統治の根幹に関わる株主総会の運営に不正があったと疑われている。

 一般論として投資家は、外形的に優れたガバナンス体制を整えている企業に対して、「感心する」よりは、むしろ「疑わしい」と思うくらいでちょうどいい。

 委員会等設置会社も社外取締役も取締役会の「多様性」も、それぞれに結構な側面があるが、格好だけに騙されてはいけない。

 年金基金などの機関投資家は昨今、議決権行使の助言会社(妙な商売があるものだ)のアドバイスに従って議決権を行使することが多い。ところが、その助言会社も企業の「外面」しか見ていない場合が少なくない。

「不祥事を起こした東芝的な会社について、助言会社はどうアドバイスしていたか過去を検証してみよう」とまで意地悪を言うつもりはないが、「体裁だけの先進的ガバナンス」に気をつけよう。ちなみに、外面だけ良くて中身がダメな会社を見抜く有力な判別手段は、「どう見てもビジネスの機微が分からなそうな社外取締役」の存在であるように思われる。しかし、サンプル数が多すぎて検証が難しいかもしれない。