「普通」はもはや禁句になりつつある

 宇多田ヒカルさんがそうであると公言した「ノンバイナリー」とは、これは性的指向を示す言葉ではないので、どんな性別の人と恋愛するかをカミングアウトしたわけではない。

 男性・女性両方を性的指向の対象とするのはバイセクシャル(LGBTのB)。最近は「LGBT」ではなく「LGBTQ」と表記される場合が多いが、Qは「クエスチョニング」で、性自認や性指向がまだ決まっていない状態であることを意味する。

 また、アセクシャルというカテゴリもある。これは、性別にかかわらず他者に対して性的欲求を持つことがないセクシャリティーのこと。

 人によって異なるだろうが、筆者にとっては、ノンバイナリーやクエスチョニングよりも、「理解が難しそうだ」と感じたのがアセクシャルだった。

 アセクシャルだという若い女性に出会ったとき、思わず「今はそうでも、いつか恋愛することがあるんじゃないですか」と言ってしまいそうになったのだ。恋愛感情や性的欲求がないことを不思議がられたり、「運命の人が現れれば変わるよ」などと言われたりするのに、うんざりしているアセクシャルは多いという。それを知らなかったら、自分が「普通」だと思っている価値観を押し付けそうになっていただろう。

10年前と今は違う

 この原稿では当初、性自認や性指向に関する基本的な用語解説のみを行う予定だった。しかし考えるうちに思い当たったのが、筆者自身の経験だった。

 冒頭に書いたように、言葉の意味は理解していても、その実態や当事者の視点に無知であった時期が長かったし、今もそうであると思う。性自認や性指向を意味するカタカナ語の意味は、グーグル検索をすれば説明が一通り出てくる。しかしそれを読むだけでは、実態を理解したことにも、想像力を持つことにも直接的にはつながらないように思う。

 ダイヤモンド・オンラインの読者は現状「男性」が多いという。けれどその「男性」たちが、シスなのかトランスなのか、ヘテロセクシャルなのかホモセクシャルなのかまではわからない。なんとなく、シスでヘテロの男性が多いのだろうと思いながら書く。しかし実際は、そこに当てはまらない人もいるはずだ。

 10年前と違うことは、トランスジェンダーの友人が何人かできたことや、こちらが「この人はシスでヘテロだろう」と思い込んでいても実際はそうではない人が「普通に」いると知ったことだ。

 筆者の世界の捉え方が以前と変わったように、この10年でセクシャリティーに関する知識が増えたという人は多くいるだろう。価値観が変わることを面倒だと思わずに、知っていかなければならないと考えている。