TVやSNSで飛び交う「擁護発言」
いじめ被害者のことをどれだけ考えたのか
「そんなのは貴様の勝手な妄想だ」という声もあろうが、実はこの仮説を裏付けるような現象を、我々はこの1週間ほど目の当たりにしている。それは、小山田氏の問題が発覚してからの、ワイドショーのコメンテーター、あるいはネットやSNSで「論客」と呼ばれるような方たちから繰り返される「擁護発言」だ。筆者が実際に耳にしたものだけでも、ざっとこんな感じだ。
一見すると、公正公平で、理性的な意見のような気もするが、これらの主張に共通するのは、ある人々の視点が気持ちいいくらいに見事に抜け落ちていることだ。「いじめ被害者」である。
10年経とうが、40年経過しようが、レイプやセクハラを受けた女性の心の傷が決して癒えることがないように、いじめられた側が受けた心の傷は決して癒えることがない。忘れたくても死ぬまでつきまとい続ける。
記者時代、子どもの時に壮絶ないじめを受けた男性にインタビューをしたことがある。小山田氏がやったほどではないが、不良グループから、殴られ蹴られ、女子の前で裸にされたり、お尻の穴に棒を入れられたりという性的な嫌がらせも受けた。遺書にいじめっ子の名前を書き連ねて、自殺しようと考えたことも何度もあったという。
ただ、本当の問題はそれが「大昔」のことではないということだ。いじめから20年以上が経過しても時々、いじめられていた時の夢を見て叫んで目が覚める。なぜ自分だけはあんな目に遭わないといけなかったのか。避けられなかったのか。それとも、自分が悪いのか。ずっと悩んで自分を責め続ける。混み合ったエレベーターに乗っていた時に、集団で袋叩きにされた記憶がフラッシュバックして、吐きそうになったこともあるという。
こういう「被害者の現実」を少しでも知っていたら、「過去の過ちは許されないのか」「いつまでも叩き続けるのは逆にいじめだ」なんて言葉が軽々しく出るわけがないのだ。
事実、ハリウッドなどでも有名俳優や大物プロデューサーが30年以上前に犯したセクハラなどで告発され、謝罪に追い込まれ、社会的制裁も受けているが、その際に、マスコミが「彼がセクハラをした時代背景も考慮すべきでしょう」なんてワケのわからない擁護はしない。
人間としての尊厳を踏みにじった相手に対して謝罪も償いもしていない加害者は、何年、何十年も経とうが批判されるのは、どのような国であっても「常識」なのだ。