「商売のために手のひら返し」、方向性を変えたマスコミ

 では、なぜマスコミは五輪報道でこのような「手のひら返し」ばかりをするのかというと「メダルラッシュを盛り上げた方が新聞もよく売れるし、テレビの視聴者も増える」からだ。つまりは「商売」のためである。

 政府のコロナ対応を強く批判してきた「モーニングショー」(テレビ朝日)が視聴率の面でも「1人勝ち」をしていたことからもわかるように、五輪前のメディア界では「コロナの恐怖は煽るほど数字が出る」という暗黙のルールがあった。

 五輪もそうで、「楽しみですね」と言うよりも、「このまま開催したら、死者が膨れ上がる」というストーリーをふれまわった方が、新聞やテレビにチャリンチャリンとお金が入ったのである。

 しかし、このような恐怖訴求型マーケティングは、いざ五輪が始まったらあまり効果がない。特にメダルがバンバン出てしまうと、お祝いムードに相殺されて大スベリをしてしまう恐れもある。

 だから、マスコミは五輪開催を境に「コロナの恐怖を煽る」という従来のスタイルをあっさりと手放し、「メダルラッシュを煽る」という方向へ「手のひら返し」をした。こっちの方向がはるかにビジネス的に美味しいからだ。

 というような解説をしてしまうと、「ジャーナリズムを侮辱するのか!我々は国民の知る権利に応えるため、仕方なく五輪を取り上げているのだぞ」というお叱りが、マスコミ人からビュンビュン飛んできそうだが、「商売のために手のひら返しをする」という“マスコミあるある”は何も筆者だけが指摘をしているわけではなく、マスコミ史を検証している人たちの多くが指摘している。

 もっともわかりやすいのは、「戦争報道」だ。実は満州事変の以前、日本の新聞の中には、軍備を縮小すべきとか、軍に権力が集中するのは如何なものか、などと割とまともなことを主張していた人々もそれなりにいた。しかし、戦争が始まるとその大半が「手のひら返し」をした。敵陣に爆弾を抱いて玉砕するような「愛国戦士」をヒーロー視して、「感動をありがとう!」と大ハシャギを始めたのだ。

 この豹変ぶりを指摘すると、マスコミは「軍部に脅されて仕方なく」と被害者ヅラをするのがお約束だが、それはいわゆる「歴史の改ざん」ではないか。当時のマスコミが置かれている環境を客観的に分析すれば、彼らが戦争を煽ったのは、軍の強制などではなく、「商売」のためであることは明白だからだ。