JAグループ京都のトップに26年以上にわたり君臨する中川泰宏は、高校を卒業するとそのまま独立起業の道を選んだ。足の障害を「名刺代わり」や「交渉の武器」にすることで貸金業や不動産業の世界でのし上がっていった。だが、カネを稼ぐだけでは中川の心の欠乏感は満たされなかった。連載『農協の大悪党 野中広務を倒した男』の#3では、中川の青年期の闇に迫る。(ダイヤモンド編集部 千本木啓文)
「あっちゅう間に財産ができた」
カネを稼いで刹那的な夜遊び
「『人に負けたくない』との思いが強く、その思いを満たすためにカネが必要でした」。中川が、著書『北朝鮮からのメッセージ』に書いたこの言葉は、青年期の彼を端的に表している。
中川は、幼少期に壮絶ないじめに遭った。それだけでなく、高校進学時や就職時にも足の障害のことで差別的な扱いを受けた(詳細は本連載#2『「農協界のドン」が障害があるいじめられっ子から青年実業家に変貌した理由』参照)。
自分をいじめた同級生や差別した社会を、中川が「見返してやりたい」と思うのは当然のことだった。
同級生や社会を見返し、承認欲求を満たすため、中川は猛烈な勢いでカネを稼いだ。
事業で成功した彼に、かつてのいじめっ子らはへりくだった態度を見せた。カネを無心に来る者もいた。カネは、彼の承認要求を満たすだけではなく、手下を増やす手段ともなったのだった。
「土地をバンバン買うて、バブルで田中角栄さんさまさまでした。あっちゅう間に財産ができました」
中川は自らの事業の成功をこう表現するが、現実には、それほど簡単で、きれいなビジネスではなかったようだ。