白豪主義で非白人を排除! しかし…

「自分たち(イギリス系白人)の富と雇用が脅かされる」という思いから、移民に対する排斥運動が起こります。1888年には中国人移住制限法が制定されました。これが後に、非白人への排除政策といった白豪(はくごう)主義がオーストラリアの国是となる背景です。

 白豪主義は、1901年の移住制限法の制定に始まり、1975年の人種差別禁止法まで約70年間続きました。

 第二次世界大戦後、白豪主義を貫くオーストラリアは、イギリスやアイルランドといったヨーロッパからの移民を受け入れる計画を発表します。しかし、ヨーロッパは第二次世界大戦の戦場となった地域。移民を送り出す余裕はありません。

 また1973年になると、冒頭で述べた通りイギリスがECに加盟します。当時、オーストラリアの最大貿易相手国はイギリスでした。

 イギリスがヨーロッパに経済的な意味を見出したことから、オーストラリアは近隣のアジア・太平洋諸国とのつながりを重視せざるを得なくなりました。1973~75年にかけて、白豪主義に関する諸法律を改正または廃止し、積極的にアジア・太平洋諸国とのつながりを模索するようになりました。オーストラリアの多文化主義の始まりです。

 1989年にはオーストラリアのホーク首相(当時)の提唱によって、日本、オーストラリア、ニュージーランド、アメリカ合衆国、カナダ、韓国、ASEAN6ヵ国(当時、フィリピン、タイ、シンガポール、マレーシア、インドネシア、ブルネイ)の12ヵ国でAPEC(アジア太平洋経済協力)が発足します。

 イギリスとオーストラリアが別々の道を歩むきっかけとなったのは、2国間の物理距離なくしては語れないのですね。