品川駅、北品川駅、目黒駅の場所に注目品川駅、北品川駅、目黒駅の場所に注目
拡大画像表示

 このとき開業していたのは品川駅と横浜駅だけ。ただし、当時の横浜駅は現在の桜木町駅だから、同じ名前で同じ場所にある駅としては、品川駅が日本最古である。なお、当時の新橋駅は後に貨物専用の汐留駅となってその後廃止。神奈川駅はその後廃止され、現在の京急神奈川駅とは別。川崎駅の開業は1872年旧暦6月5日(新暦7月10日)。鶴見駅は旅客営業開始としては同年旧暦9月13日である。

 江戸時代の品川は、東海道五十三次の最初の宿場町として賑わっていた。江戸四宿といわれた千住宿(日光街道)、板橋宿(中山道)、内藤新宿(甲州街道)の、他の3宿と比べてダントツで規模が大きかったから、駅名を品川駅としたのは極めて常識的な判断だった。ところが、品川宿の人々は鉄道建設に猛然と反対したのである。やむを得ず、宿場から遠く離れた高輪(当時は高輪南町)に駅を設置することにしたのだ。

 1889年5月、15の区から成る東京市が発足し、高輪地区は芝区の領域になった。1932年には、隣接する5郡82町村を編入して新たに20区を新設し、35区からなる東京市が誕生した。戦後、1947(昭和22)年に35区から23区に再編されたが、芝区、赤坂区、麻布区の3区は統合されて港区になった。品川駅が港区にあるのは、そういった理由による。

品川駅の南にある「北品川駅」のほうが
駅名の由来はむしろ正当

 不可解なのは、品川駅から南へ600mほど行ったところに北品川駅があることだ。品川駅はJRの駅、北品川駅は京浜急行の駅という違いはあるが、品川駅の南にある駅なのになぜ南品川駅ではなく北品川駅なのか。前述のとおり、品川駅が当初の計画より北に建設されたことを知っていれば、おのずと答えは出てくるだろう。

 東海道五十三次の品川宿は、北は京浜急行本線の北品川駅あたり、南は青物横丁駅あたりまでの東海道沿いに形成されていた。北品川駅は品川宿の北にあるので、位置も由来も正しく反映しているのである。駅の所在地も「品川区北品川一丁目」で、駅名と地名は完全に一致している。「港区高輪三丁目」にある品川駅のほうが、駅名に問題があるといえそうだ。