【お寺の掲示板89】この世に未練なく死ぬ人はほとんどいない超覚寺(広島) 投稿者:@chokakuji [2021年8月6日] 

肝心の部分を「糊でくっついていたので読み飛ばした」と言い訳している人がいましたが、平和記念式典の行われる8月6日は広島にとって特別な一日、市の休日「平和記念日」で、小中学生は全校登校日でもあります。(解説/僧侶 江田智昭)

1002億人の死者が抱いた想い

 お寺の掲示板大賞の常連で、広島市の中心部にある超覚寺。原爆死没者慰霊式・平和祈念式が行われる8月6日に掲示されたこの言葉は、広島出身のタレントである有吉弘行さんがテレビ朝日系『かりそめ天国』の番組内で発言したものです。

 1945(昭和20)年のその日の朝、世界初の原子爆弾が広島市内に投下され、年末までに推計14万人が亡くなりました。有吉さんは、過去に大変痛ましい出来事が起きた広島の出身だからこそ、死者の「未練や怨念」という言葉に対して敏感に反応したのでしょう。

 この世界には苦しみや悲しみが数多く存在する一方、どんな人でも世の中に愛着を感じるものを少なくとも1つや2つは抱えています。死ぬということは、そうしたものとの別れを意味するわけで、未練が生じるのは当然のことなのです。

『歎異抄』第9条の中で、弟子の唯円が親鸞聖人に対して、「私はすぐに浄土に行きたいと思わないのですが、急いで浄土に行きたい気持ちにならないのはなぜでしょうか?」と尋ねる場面があります。そのとき、親鸞聖人は「迷いのふるさと(この世界)は苦悩が満ちているのに捨てがたく、生まれたことのない浄土は大変安らかな場所であると聞かされても行きたいと思えないのは煩悩が強く盛んだからだ」とおっしゃっています。

 また、『一念多念文意』の中では、「凡夫は、臨終まで欲や怒りや嫉(そね)みや妬(ねた)みの気持ちが消えない」とも。ですから、煩悩から離れられない人間が未練やうらみを完全に絶ち切って死ぬことは非常に困難で、そうした気持ちを抱いたまま亡くなった無数の死者が過去にいたといえるでしょう。

 ところで、みなさんはこの世界でこれまでどのくらいの人が亡くなっていったと思いますか。米国のNPO団体ポピュレーション・レファレンス・ビューロー(PRB)が2011年に発表した統計によれば、全世界に存在した人口の累計は約1080億人だそうです。

 地球上の人口は現在約78億人いますから、差し引き約1002億人の死者がいたことになります。英語では死ぬことを“join the majority”と表現することがあるそうです。これを直訳すると、「多数派に加わる」。生者より死者の方がこの世界では圧倒的多数派であることから、上記の表現が生まれたのでしょう。

 この意味で、私たちは常に少数派であり、無数の死者たちのおかげでこの世に生を受け、彼らに見守られながら生活しています。死者たちの人生や死に様などから、勝手にその人の感情を推量し、“怨念”などと決めつけてしまうのは生者の傲慢(ごうまん)ではないでしょうか?この世界を築き上げた先人である死者たち(多数派)へのリスペクトをくれぐれも失わないようにして毎日を送りたいものです。