イベントへの登壇でも、講演の内容は全部スタッフが書き(経営者は読むだけ)、司会者には事前に検閲した質問内容しか聞いてはいけないと念を押す。もちろん、若手経営者との対談などありえない。アナリストの厳しい質問には、経営者は抽象的なことだけを語り、補足と称し、スタッフが詳しく解説する。これらの優しくも温かい配慮のおかげで、経営者はどうにかその場を乗り切れるので、自分が賞味期限切れであることを実感できないのだ。業界イベント参加者のアンケートの点が低ければ、アンケートは行われていないことにするだけだ。

 さらに、居座りを許してしまう構造は、自分の明確な代替者がいない――つまり、次を決めていないことにも原因がある。社長はコーポレートガバナンスの教科書的には取締役会が選ぶことになっているが、実際には現社長が選ぶというところがほとんどだ。それどころか、社長の権力の最大の源泉が、次の後継者を社長が選ぶことに由来するのだ。だからこそ、力のある役員たちが社長に従うのである。

 そのため、社長は自分の後継者を誰にするかをあえて明確にしないことで影響力を保ってきたのである。近年、コーポレートガバナンスのような形式が下手に持ち込まれたことで、かりに社長の一存で後継者を選んでも、第三者機関が選んだ形になってしまう。公式には、正統な手続きを踏んだように見えて、より権威付けがなされる点も厄介である。

 私自身は残念ながら強大な権力とは無縁なので、あくまで聞いた話でしかないが、権力は一度持ったら離せないというのは事実らしい。とくにサラリーマン社長の場合、自身にそれほどの財力があるわけでもなく、特別な専門的知識から来る権威性に依拠しているわけでもない。なぜ皆からちやほやしてもらえるかというと、「社長だから」というだけである。その立場を失ってしまうと自分には何もないことを自身が痛いほどわかっているのである。

 そうすると、誰でも余計なことを考える。たとえ退く場合でも「あくまで補佐役になるけれど、代表権も残した会長にしてほしい」「2年間は私と共同CEOにしてほしい」などと訴えるのである。さらに困ったことに、「もう主役じゃない」と思っても、次に行くところがない。財界や業界団体におけるポストが用意できればよいが、それは超有名企業だけだ。もちろん、他社から経営者をやってほしいと声がかかることもない。

 本来は、余人をもって代えがたいマネジメント能力を持つからこそ経営トップになっているはずなのに、そして、人事部門は本来、現役社員の適材適所の配置や、将来を見据えたキャリア設計や、次世代の経営陣の育成など、もっと傾注すべき重要任務があるはずなのに、なぜか「偉大な経営者」のセカンドキャリアの心配をすることに頭を悩ませている。

 この悲しい構造が頑として存在している限り、そろそろ潮時かな、などとちらっと思っても、なかなか自分からは辞めない経営者が後を絶たないであろう。やはり、誰かが猫の首に鈴をつける仕組みをしっかりと構築しておかなくてはならない。いや、そもそも経営者も、地位にしがみつかず、人事や後進やあらゆる社員から煙たく思われるより、惜しまれて去る引き際をもって、名経営者と言われる勇気を持ってほしいものである。

(プリンシプル・コンサルティング・グループ株式会社 代表取締役 秋山 進、構成/ライター 奥田由意)