コロナ禍で見える化された貧困に
次の総裁はちゃんと向き合うか

 格差と貧困の問題に対しては時に「そのような働き方を選んだ本人の責任」「貯金をしないのがいけない」「家賃が高いなら地方に住めばよい」といった意見もある。家族や友人の間の話なら、百歩譲ってそれもありだろう。しかし、政治家の使命は違うはずだ。

 寮付き派遣のような大勢の路上生活者を生み出しかねない働き方には、いい加減なんらかの歯止めをかける時期だ。また、賃貸アパートくらい借りられるだけの賃金水準の雇用、もしくは低賃金でも入居できる家賃の住宅は、政治が責任を持って創出、供給するべきではないか。

 不安定雇用で日本経済を支えてきた人たちがいざ生活保護を利用しようとしたら、貧困ビジネスの温床のような「無料低額宿泊所」に放り込まれるようなおかしなローカルルールがまかり通っている現状についてもすぐに改善してほしい。

 不安定な働き方、生活保護への忌避感、住まいの貧困――。コロナ禍の取材で目の当たりにしたのは、それまで政治が存在しないものとみなしてきたさまざまな問題がせきを切ったようにあふれ出す光景だった。一方で、現場の支援者らからはたびたび「これらはコロナ禍に始まったことではない」という指摘も耳にした。

 これらの問題はコロナ禍の前から長年にわたって社会をむしばみ続けてきた。日本社会の底はとっくに抜けていたというわけだ。私たちが見たいものだけを見て、聞きたい言葉だけを聞いているうちに、この社会は取り返しのつかないところまで壊れてしまっていたのかもしれない。

 見方を変えれば、このたびのコロナ禍はさまざまな問題をあらためて可視化したともいえる。自民党総裁選で誰が選ばれるにしても、せっかく可視化されたさまざまな問題をまたしても見たくないものとして放置するのか。それとも今度こそ正面から向き合うのか。日本社会が沈没しないための政策を打ち出せるかどうか、おそらくこれが最後の機会になるだろう。