経営危機に陥ったマツダが
起死回生を狙って導入したMBD

 人見委員長は、マツダの“名物エンジニア”として知られる。2000年代初頭にMBDを本格的に導入し、新型エンジンなどの「スカイアクティブ」の開発を主導、経営危機に陥り窮地にあったマツダを救った立役者だ。

 リーマン・ショックで米フォードとの資本提携解消を進めた苦しい時期に、マツダはこのMBDの導入を端緒に、「モノ造り革新」として設計・生産リソースを共有するコモンアーキテクチャーや全ラインアップをまとめて企画する一括企画、フレキシブル生産(混流生産)などの導入といった改革に結びつけていった。

 その流れは、人見氏による著書『答えは必ずある 逆境をはね返したマツダの発想力』(ダイヤモンド社)で詳しく書かれている。大手メーカーとは違い、開発投資や技術者も限定されるマツダだからこそ、革新的な自動車開発手法を導入する切迫度が高く、結果として危機をチャンスに変えられたわけだ。

 マツダが業界に先駆けて導入したMBDだが、その後トヨタやホンダなども本格導入し、いまや車開発では主流になりつつある。「オールジャパンでモデルをつくれば、より威力を発揮する」(人見委員長)。成功体験を積んだマツダが旗振り役となることが、OEMからサプライヤー、中小部品メーカーまでモデルベース開発を普及させるある種の“近道”なのだ。

 トヨタの豊田章男社長も、このマツダのモノ造り開発にはうなった。

 それが表れたのが、17年9月に設立されたEVの基盤開発の共同出資会社「EVシー・エー・スピリット(EVCAS、EVキャス)」だ。トヨタ、マツダ、デンソーが出資し、のちにSUBARUやスズキなども参画した同社は、各社の生産技術などを持ち寄り、EV専用プラットフォームの開発に生かすことが目的だった。MBD開発で成果を上げたマツダが、ここでも主軸になったのは言うまでもない。

 なお、このEVキャスは、EV解析モデルを開発したことで、21年3月末で解散し、各社がEV共同開発や独自開発の形で取り組んでいくことになった。