岸田氏は、例えば、「新自由主義からの転換」という言葉を使った。しかし、日本はいつ新自由主義になったのか。「転換」という言葉を使うからには、彼の認識では、現状は新自由主義なのだろう。

 しかし、たかだか郵政民営化くらいのプロジェクトが中途で挫折してぐずぐずになるような、利権維持と非効率性の中で漂うこの国の一体どこが新自由主義なのか。電波オークションもなければ、農地の株式会社保有さえ実現しない。

 このような日本に「新自由主義」というレッテル貼りをして、意見を言ったような気分になることができる精神構造を、不気味だと思わないことは難しい。しかも、彼は左派政党の党首ではなくて、自由民主党の総裁なのだ。

「新しい資本主義実現会議」は
中身がないと断言できる根拠

 岸田氏が、「新しい資本主義」について確たる具体的な内容を持っていなかったことは、「新しい資本主義実現会議」という何とも奇妙な有識者会議が、総選挙を前にした内閣府の下に設立されたことに如実に表れている。

 内閣府が10月15日に発表した文書を見ると、会議の開催について、「新しい資本主義実現本部の下、『成長と分配の好循環』と『コロナ後の新しい社会の開拓』をコンセプトとした新しい資本主義を実現していくため、それに向けたビジョンを示し、その具体化を進めるため、新しい資本主義実現会議を開催する」とある。

 中身が何もないので、「それに向けたビジョン」などという、この種の文章としては世にも情けない言葉を使う以外に書きようがなかったのだろう。

成長と分配の好循環を「これから検討」
それでは絶望的に中身がない

 そもそも、「新しい資本主義」などという偉そうな言葉を使う以上、そのビジョンは言っている本人が明確に提示して方向性を示すべきだ。「成長と分配の好循環」にも「コロナ後の新しい社会の開拓」にも、願望はあっても中身がない。

「成長と分配の好循環」は与党も野党も望んでいることであり、「どう実現しようとするのか」を論じる以外にお互いを区別するポイントはない。それをこれから有識者会議で検討しようというのだから、岸田首相自身には絶望的なまでに中身がない。