低所得者への年額12万円の現金給付案は、数字の刻み方が細かいが、配り方として公平であるし、使途に政府が介入するわけでもないので、それ自体がひどく悪くはない。ただし、与党も含めて同様の現金給付案を提示した政党が複数あって立憲民主党案は特色を訴えきれなかった。

 また、1回だけの給付なので、特に困窮者にとって安心につながるものではなかった。この点では、日本維新の会が提示した基礎年金の無料化の方が勝る。家計にとって毎月の負担の軽減につながり、使える「手取り収入」を増やせる。その上、所得税率を考えると給付のメリットが所得に対して逆相関になる点で、補助の仕組みとしても再分配としても、より優れていた。

立憲民主党が抜け出せない
「所得制限の暗愚」

 そして、所得1000万円程度の人まで所得税を当面、実質免除するという案に至っては、所得が1000万円を少し超えている人の行動に及ぼす影響が十分考えられていると思えない。

 立憲民主党は、前身の民主党時代から「所得制限の暗愚」を抜け出すことができていない。ベーシックインカムが一例だが、給付を一律定額にして、税金や保険料などお金の徴収サイドの調整(将来お金持ちの負担を増やす)によって「差額」の再分配効果を調整するやり方の方が優れている。個々の給付にあって所得制限の段差を作るやり方よりも国民の行動に対するインセンティブをゆがめないし、制度としてシンプルであって、行政コストの削減にもつながるからだ。

 給付的な制度を提示する際に毎度のように「所得制限を付けよう」と言い続けている限り、この党の経済政策には期待できない。部分ではなく、全体の「差し引き」を見よと言いたい。

 また、金融所得課税に関して岸田文雄首相の主張がブレたこと自体は、岸田氏の問題として深刻だった。ところが、これに誘われるようにして立憲民主党が金融所得課税の強化を言い出したことは、投資に関わりを持ち、経済に対する金融の影響に対して配慮がある多くの国民の不安を呼んだ。このミスは痛かった。

 リスクを取った投資を処罰する性質を持つ税金を強化するのは単に愚かだ。必要なのは、資産ベースの貧富の差を緩和する再分配制度の設計であり、投資による利益獲得を妨害することは適切な解決案とならない。