安倍晋三元首相にしばしば「悪夢の民主党政権」と揶揄されるように、立憲民主党には民主党政権時代の「悪いイメージ」がつきまとっている。「有権者の認識上の事実」は、自分たちの言い分とは別に、政治的な戦略を考える上で存在を認めた方がいい。

 現実問題としてそのイメージを覆すことが難しいなら、せめてそのイメージを薄めるための方策を考えるのが、現実的な政治の発想法だろう。

 立憲民主党の党首として総選挙を戦った枝野幸男代表は、東日本大震災と福島の原子力発電所事故が起きた際の菅内閣の官房長官として、旧民主党政権時代の国民の記憶と深く結びついている。彼は当時、首相以上に露出の多い「民主党の顔」だった。その他の人々の名前は挙げないが、旧民主党政権時代に存在感を発揮した政治家さんたちは、いったん「党の顔」的な立場から身を引くことが、政治マーケティング上は明らかに望ましい。

 そして11月2日、遅きに失したが、枝野氏は党役員会の場で代表を辞任する意向を表明した。

小池百合子氏に「排除」された仲間を
救った際のイメージは賞味期限切れ

 枝野氏個人は、おそらくいいお人柄なのだろうと拝察する。立憲民主党の設立時に、希望の党の小池百合子氏に「排除」されて行き場を失った仲間を救うべく立ち上がった姿は「男、枝野!」(「女、○○!」でもよかったのだが)として少なからぬ人の共感を呼んだ。

 しかし、申し訳ないが当時の「男、枝野!」の賞味期限は既に切れた。心配になるような経済政策を繰り返し口走る彼には、今や結党時のイメージよりも、民主党政権時代のイメージの方がより強く重なる。

 ビジネスとしての「政治家」を考えると、立ち位置を第一線から引くことは難しいことも理解する。しかし、ここは野党第1党である立憲民主党をより清新なイメージにするために、旧民主党政権時代の印象が薄いフレッシュな党首に「表紙」を替えるため、いったん身を引くのも「男、枝野!」の次の選択肢ではないかと考えていた。それに踏み切った枝野氏の決断によって、立憲民主党に吹く逆風が風向きを変える可能性はある。

 ただ、代表交代だけでなく、経済政策の刷新も必要なのは前述の通りだ。今後の立憲民主党の立ち直りに期待したい。