「元・日本一有名なニート」としてテレビやネットで話題となった、pha氏。
「一般的な生き方のレールから外れて、独自のやり方で生きてこれたのは、本を読むのが好きだったからだ」と語り、約100冊の独特な読書体験をまとめた著書『人生の土台となる読書』を上梓した。
本書では、「挫折した話こそ教科書になる」「本は自分と意見の違う人間がいる意味を教えてくれる」など、人生を支える「土台」になるような本の読み方を、30個の「本の効用」と共に紹介する。
「ワイドショー」が生まれたワケ
自分とは異なる意見を持った人間がいることは、じつは大事だ(前回の記事『遺伝子によって「保守か、リベラルか」が決まる。あなたはどっち?』より)。
管賀江留郎(かんがえるろう)という人の書いた『冤罪と人類』という本がある。「かんがえるろう」と、人を食ったような著者名だけど、内容はいたって真面目な本だ。
この本のテーマは、「正義を求める心は、なぜ人を暴走させるのか」というものだ。
戦時中に起きた浜松事件という冤罪事件を題材にして、進化心理学の手法を使いながら、その謎に迫っていく。
浜松事件は、〈拷問王〉と呼ばれた紅林麻雄(くればやしあさお)警部によって引き起こされた冤罪だ。紅林警部は拷問で無理やり自白を引き出して、数々の冤罪事件を作り出した。
紅林警部は別に自分の欲望のために拷問をしたのではない。彼なりに正義を追求しなければいけないという気持ちが、彼を拷問へと駆り立てた。人は自分の欲のために動いているときよりも、正義を背負ったときに暴走してしまうのだ。
ゴシップの起源
そもそも、人はなぜ正義を求めるようになったのだろうか。
人は、助け合ったほうが生存に有利だから、助け合いを行うようになった。
だけど、ただ単に他者を助けるだけだと、助けてもらうばかりで人を助けないずるい奴ばかりが得をしてしまう。これでは助け合いは成立しない。
なので、ずるい奴は助けないという対策が必要になった。これが、ずるい奴を罰する心、つまり正義を求める心の起源だ。
小さい集団なら、誰がずるい奴かはわかりやすい。しかし、人間の場合は、社会が大きくなりすぎた。
だから、自分が見たものだけで判断するのではなくて、「あいつはずるい奴だ」という人から聞いた話を参考にする必要ができた。
これが噂話やゴシップの起源だ。
人間はなぜこんなに人の噂話が好きなのか。
なぜ、ワイドショーや週刊誌には誰かのゴシップばかりが取り上げられるのか。
それは、ずるい奴を排除することが、人間の集団には必要だったからなのだ。
ずるい奴を排除しないと、人間の集団は弱ってしまうから、人間はずるい奴を叩くとドーパミンが出て気持ちよさを感じるように進化してきたのだ。
はたして「正義」は本当に「正義」か
しかし、「ずるい奴を叩きたい」という道徳感情は、ときどき暴走してしまう。
「あいつは悪い奴だから叩かないといけない」と考えると、ドーパミンがドバドバ出て、楽しくて気持ちいい。あまりに気持ちよすぎるので、ときどきやりすぎてしまって、冤罪や虐殺を生み出してしまう。これが正義の恐ろしいところだ。
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だからこそ、大恐慌により農民や都市貧民が最低限の生活を保てなくなったとき、大臣や財閥トップを暗殺するテロ事件が続発した。さらに、それを称賛する声が多数沸き起こった。テロをやったのも称賛したのも、共産主義者ではなく右翼である。
良いも悪いもない、何百万年の進化がもたらした平等を求める人間の本性がそうさせてしまったのである。
『冤罪と人類』より引用
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二・二六事件や五・一五事件の青年将校たちも、正義のために立ち上がって人を殺したのだ。
人は正義を背負っているとき、平気で人を殺せるようになってしまう。
正しい物語は危険だ。わかりやすくて気持ちがいいから、みんな信じ込みたがってしまう。そして暴走を始めてしまう。
本当は、世の中に絶対に正しい物語なんていうのはないのだ。大体の場合は、みんなある程度正しくて、ある程度間違っているという、そんな曖昧な話ばかりだ。そんなわかりにくくてフニャフニャしたコンニャクみたいなのが、この世界だ。
正しい物語を求めてしまうのは、曖昧さに耐えられない人間の心の弱さなのだ。
だから、安易に正しい物語に飛びつくのではなく、どちらが正しいかはわからないままひたすら議論し続けるべきだ、と筆者は主張する。
たとえば、政治の場で野党が必要なのはそういう理由だ。どんな思想の誰が政権を取ったとしても、ずっと正しい判断を続けることは難しい。人間は必ずミスをする。
だからそのミスを指摘するために野党が必要となる。野党は政権を取る可能性がなくても、ひたすら与党にダメ出しをし続けるのが仕事だ。ミスを指摘する人がいないと、人間は暴走してしまうものだからだ。
裁判で弁護士が、検事の言うことに何でも反対するべき理由も同じだ。
民主主義というのは面倒でまどろっこしいものだけど、正しさの暴走を防ぐためには必要なシステムなのだ。
「グダグダ」がちょうどいい
絶対的な正しさが存在しない世界というのは、どの意見を信用したらいいかよくわからなくて、グダグダとした言い合いが続いて、物事がなかなか決まらない曖昧な世界だ。それはあまり美しくない。
だけど、それでいいのだ。世界というのはそもそもそういう曖昧なものなのだから。
その世界の曖昧さに目を背けて、わかりやすい正しさを求めてしまう心が、冤罪や虐殺を引き起こしてきた。人間は何が正しいかわからないまま、グダグダと言い合っているくらいがちょうどいいのだ。
自分の信じている正しさを、ときどき疑ってみるようにしよう。
1978年生まれ。大阪府出身。
現在、東京都内に在住。京都大学総合人間学部を24歳で卒業し、25歳で就職。できるだけ働きたくなくて社内ニートになるものの、28歳のときにツイッターとプログラミングに出合った衝撃で会社を辞めて上京。以来、毎日ふらふらと暮らしている。シェアハウス「ギークハウス」発起人。
著書に『人生の土台となる読書』(ダイヤモンド社)のほか、『しないことリスト』『知の整理術』(だいわ文庫)、『夜のこと』(扶桑社)などがある。