民主主義と権威主義の狭間で、オリンピズムが崩さない理念

 11月初め、中国の著名な女子テニス選手、彭帥氏が元中国政府高官から性的虐待を受けていたことをSNSで告白し、直後その投稿が消され、彼女のアカウントも消滅し大騒ぎとなった。

 女子テニス協会(WTA)の会長は中国での大会を中止してまで、彼女の所在を突き止めると公にした。本人が登場して無事を告げれば問題はクリアだが、それができない事情があることは明らかだった。

 そんな最中で、バッハIOC会長自らオリンピアンでもある彭帥氏の安全のために動いた。WTAや選手が声を上げても中国政府が本人の肉声を表舞台に出すには時間がかかる。長くなれば命の危険もある。バッハ会長は中国人脈で彼女とのリモート面会を求めた。最終的に中国側は彼女とのやりとりを流さないという条件を付けた。IOCが静止画とテキストで会談について明らかにしたのはそのためである。これによって本人にバッハ会長自身がリモートながら会うことができ安否を確認できた。そして北京五輪での彼女との会食を約束することで中国側に彼女の生命を保証させた。

 しかしこのことも、IOCが中国のために彭帥氏の無事を確認して、世界を落ち着かせることに協力したとしているメディアは多い。しかし、現実を見ると、WTAも人権団体も彼女との接触にはいまだに成功しておらず、解決に向けた手段を失っている。

 人権を尊重することはオリンピックの理念に沿うことだ。しかし、政治、宗教、人種、民族、あらゆる垣根を超えてスポーツによる人類の融和を求めるオリンピック理念はあくまでもそれをスポーツで実現しようとする。そうでなければ、民主主義と権威主義はいつまでも対立を諦めないからだ。

 米国が北京五輪に政府高官は派遣しないと表明した。新疆ウイグル地区の人権蹂躙問題など中国の人権問題に対して中国政府への抗議であり、数カ国が同調している。中国政府は「スポーツを政治問題化している」と反発している。

 12月11日にIOCが主催し、開催されたオリンピックサミットでは、IOCと国際競技連盟のトップが集まり会談し、宣言を発表した。その中で「オリンピックとスポーツの政治化に断固として反対する。IOC、オリンピックそしてオリンピック運動は政治的に中立でなければならない」と唱えた。中国にも米国にも同じスタンスを取るということだ。

 バッハ会長が本心で望んでいるのは、オリンピック開催の機会に各国の政治指導者が政治を超えて平和の祭典を祝うために訪れることだ。そこに民主主義や権威主義を超えて人権を尊重する場ができる可能性が生まれると考える。それがオリンピズムだ。