近年は美食の地としてバスクがたいへん有名になりましたが、他のエリアはまだ知名度も低く、訪れる日本人も限定的です。しかし実は独特の自然と歴史に育まれ、また豊かな食文化をもつ魅力あふれる場所なのです。東西に連なるカンタブリア山脈が大西洋からの海風を遮るため一年を通じて降雨量が多く、夏でもあまり暑くならず過ごしやすい気候です。また、北に北大西洋海流という暖流が流れることで冬もさほど寒くはありません。半島中央のような夏暑く冬寒い場所や、南部の灼熱の夏に比べると、本当に過ごしやすく暮らしやすい土地なのです。そうしたグリーンスペインでも、今回はとくに緑豊かで歴史や文化にも独特の背景のあるアストゥリアス州を中心にその魅力をご紹介しましょう。

アストゥリアス州の世界遺産サンタマリア・デル・ナランコ教会アストゥリアス州の世界遺産サンタマリア・デル・ナランコ教会

 アストゥリアス州はかつて「アストゥリアス王国」と呼ばれ、イベリア半島へ進出したイスラム勢力を退け、レコンキスタの起点となった場所です。南と北とを隔てるカンタブリア山脈が天然の要害となり、イスラムの浸食を押しとどめキリスト教文化圏を守り抜きました。その証ともいえる古式なプレ・ロマネスク建造物が今も残されており世界遺産に認定されています。レコンキスタ終焉の地である南部グラナダに美麗なイスラム様式の建築が残されていることはよく知られるところですが、アストゥリアスのプレ・ロマネスク建造物はまさにこの対局にあるといえます。

その名も“ヨーロッパの頂” ロス・ピコス・デ・エウロパ国立公園その名も“ヨーロッパの頂” ロス・ピコス・デ・エウロパ国立公園

 アストゥリアスがスペインでも独特の文化を形成したのは、前述のカンタブリア山脈の北側に位置するという地政学上の理由は大きく、そのなかほどには「ヨーロッパの頂」という名の「ロス・ピコス・デ・エウロパ国立公園」があります。スペインといえば乾燥したラ・マンチャの大地やオリーブ畑が延々と続くアンダルシアの光景が連想され、これぞスペインという印象をもたらしますが、グリーンスペインとも称される北スペインはそのイメージとは全く異なり、山岳部では氷河が形成した渓谷や湖、緑の草原などが広がり、その雄大さに圧倒されるはずです。

 この緑豊かな山々では古くから酪農が営まれ、有数のチーズの産地となっています。スペインチーズといえばケソ・マンチェゴが有名ですが、これはスペイン中央のラ・マンチャ地方の産。原料も羊乳です。他方、アストゥリアスでは乳牛の放牧が盛んに行われ、地場チーズがなんと360種も生産されており、これはスペイン随一の豊富さです。このほかにも、山岳部に生息する高山の花々から採れるオーガニックで個性豊かな蜂蜜など、自然からの恵みに富んだ土地なのです。

オビエドの街なかで演奏するバグパイプの楽団オビエドの街なかで演奏するバグパイプの楽団

 北スペインに古式なキリスト教建築が残されていることは前述しましたが、それをさらに遡るケルトの文化もこの地に継承されており、お祭りにはバグパイプが登場し街を練り歩きます。ケルト文化とバグパイプといえば、アイルランドやスコットランドを連想しますが、これがイベリア半島北部にも残っているのです。ケルト関連の地方との共通項は食文化にもあります。北スペインにはシードラと呼ばれる地酒がありますが、これはフランスのブルターニュ半島の「シードル」(英国ではサイダー)と同種のリンゴの発泡酒です。音楽や酒といった人々の生活に根付いた文化の継承は、アイルランドやブリテン島、ブルターニュ半島、そしてイベリア半島北部へと続く、大西洋岸のケルト文化の連続性を感じさせてくれます。

「プリミティボの道」に建つホタテ貝の道標「プリミティボの道」に建つホタテ貝の道標

 アストゥリアスの州都オビエドはまた、サンティアゴ巡礼の発祥の地ともいわれています。フランス方面からイベリア半島西北端の聖地サンティアゴ・デ・コンポステーラを目指す巡礼路はいくつかのルートがありますが、その最古の道といわれる「プリミティボの道」がオビエドを通っています。南からは古代ローマ時代からの交易路である「銀の道」がのびており、オビエドで交差しています。これをさらに北上すると大西洋岸にいたりますが、この海岸沿いにはサンティアゴ巡礼路の最北端ルートである「北の道」が東西に走っており、中世にはヨーロッパ中の巡礼者がこの地を往来していたのです。