コロナ禍から3年目、2022年を迎えた。再び変異株が猛威をふるうのか、感染状況が落ち着き鉄道利用は徐々にコロナ前へと回帰していくのか、未来は見通せない。しかし私たちは過去を振り返ることはできる。今後を占うためにも、100年前、50年前を振り返ってみよう。(鉄道ジャーナリスト 枝久保達也)
パンデミック、大地震、不況に
苦しんだ約100年前の日本
今から100年前の1922年は、1918年から1920年にかけて世界的に流行した新型インフルエンザ、いわゆる「スペインかぜ」の猛威がようやく過ぎ去った時期にあたる。100年前のパンデミックでは世界で2000万から4000万人もの人が死亡したと推定されており、当時人口約5600万人の日本でも延べ約2300万人が罹患(りかん)し、40万人が死亡した。医療技術や公衆衛生が未発達だった時代のこととはいえ、新型コロナとは比較にならない規模の世界的な災禍であった。
同時代、1914年から1919年にかけて繰り広げられたのが第一次世界大戦だ。史上初めて、戦争遂行のために経済や社会全体が動員される総力戦となったこの戦争は、軍人と民間人あわせて1600万人以上もの命を奪い、国土を焼き尽くした。そんな中、直接の戦場にならなかった日本はヨーロッパ諸国に代わり、造船や製鉄などの軍需産業を中心に空前の好景気を迎えた。
ところが1919年に大戦が終結すると、戦時中の過剰生産とヨーロッパ列強の市場復帰を起因として1920年3月に戦後恐慌に陥る。これに追い打ちをかけたのが1923年に発生した関東大震災だ。これらによって生じた不良債権が起因となり、1927年に昭和金融恐慌が発生。さらに1930年には世界恐慌が波及して昭和恐慌が発生し、10年以上にわたる慢性的な不況が日本を覆った。長い不況がもたらした閉塞感は、やがて軍国主義の台頭を招くことになる。
それでは、1920年代初頭の日本の鉄道はどのよう状況だったのか。