ある日、私よりもずっと若い50代後半の知人に膵臓(すいぞう)がんが見つかり、余命3カ月と宣告されたのだ。自覚症状が少なく、検診でも見つかりにくいサイレント・キラーである。発見されたときにはすでに他の臓器にも転移していて手の施しようがなかったという。

 本人は当惑し、周囲の人々は何も出来ないことに行き場のない悲しみと怒りを覚えた。いつも快活で笑顔を絶やさなかった人が心身ともに目に見えて衰弱していく。50代の若さで逝ってしまうのは、あまりにも理不尽だ。

 結局、彼女は苦痛に耐えるだけの延命治療を拒否することにした。病と闘わず、痛みを麻酔で抑えながら最後まで人間らしく尊厳を失わない日々を過ごす選択をしたのだ。

 その時、私も考えた。いや、感じたといったほうがいいかもしれない。誰もが免れない老いと死の運命にどう立ち向かえばいいのか。107歳まで生きた美術家の篠田桃紅さんは「体の半分はあの世にいて、過去も未来も俯瞰(ふかん)するようになる」と書かれているが、そんなものなのだろうか。昨年3月に老衰のため、東京の病院で亡くなられた。

「高齢者にとって怖いものは死ではない」

 ハーバード大学公衆衛生大学院のアトゥール・ガワンデ医師は著書『BEING MORTAL(死すべき定め)』で、そう述べている。「死よりも、延命治療や介護に頼って自分らしい生き方を失うことのほうが怖い」と。その通りだと思う。