この世には、生まれつき与えられた役割が存在している…
私は、華がない人間である。そしてずっと、華がない人間なりに、華がある人間になろうと、足掻き続けてきた人間である。
華がある人間と、華がない人間、この違いって、なんなんだろう。
ずっとそれが疑問だった。そしてどうすれば、自分は華を手に入れられるのか、考えてきた。
そうやって生きてきた私が、今のところ出せる結論は、一つだ。
華がない人間がいくら努力しても、華がある人間になることは、できない。
なぜなら、「華がある」とは、何も努力しなくても、勝手に周りに人が集まる能力のことだからだ。その存在そのものだけで人を惹きつけ、離さない能力のことだからだ。
「華がある」人間になろうと努力している時点で、それは、自分には華がないことを認めてしまうことになるからだ。
さて、じゃあ、ここで私はどうすればいいんだろう。
華がある人間に擬態しようと、努力すればいいのだろうか。
もっと頑張れば、輪の中心に行けるのだろうか。
それとも、「自分が損している分、きっとSちゃんみたいに華のある子は、どこか別のところで損することがあるはず。人間は平等。人生にやってくるプラスとマイナスの割合は同じ」と、どこかで聞いたような定番の文句を繰り返して、無理やり自分を納得させればいいのだろうか。
いや、そうじゃない。
そういうことじゃない。
そんなことは、どうでもいいのだ。普遍的な理屈とか客観的な事実とか根拠とか、そういうものは、どうでもいい。そんなことで、私は心から納得することはできない。
そういうことじゃ、なくて、ただ、自分の役割を、受け入れること。
事実は事実として、認めること。
そうするしかないのだと思う。たぶん。
草食動物が肉食動物になれないように、おそらくこの世には、生まれつき与えられた役割が何かしら、存在しているような気がする。
たぶん、SちゃんにはSちゃんの役割があって、「みんなの場を和ませる」という役割が与えられているのだ、生まれつき。それこそ、舞台の上で物語を引っ張っていく主役ではないけど、その子がいるだけでこの世の中がふわっと明るくなるような、そういう役目が与えられているような気がする。
世の中を面白くする役割のやつ、引っ張っていくやつ、暗くするやつ、刺激を与えるやつ、バランスをとるために冷静でいるやつ……。
私には霊感もないし、神様のお告げも聞こえないから、スピリチュアル的なことを言いたいわけではない。ただ、「自分の役割を果たす」という能力が、全員に生まれつき備わっているんじゃないか──。そんな気がするのだ。たぶん、この地球という星の均衡を保つために生物がそれぞれ本能的に、バランスを保とうとして生きているのだ。ほんの少しでもバランスが崩れないように、自分がするべきことを、無意識にしようとして生きているのだと思う。
だから、華がある人間が役割を全うするためには華がない人間が必要で、そして華がない人間が役割を全うするためには、華がある人間が必要なのだ。
その自分の役割がなんなのか、ちゃんと見極められたときが、「やりたいことが見つかった」っていうときなんじゃないのかなあ。
私もそうだけれど、若者が、「やりたいことが見つからない」というのはたぶん、自分がほしい、憧れる役目が、自分に与えられた役目とは一致していないということを、認められないからなんじゃないかという気がする。
不安でカッコつけてみたり、無理して飲み会でお笑いキャラを気取ってみたり、別に本当はやりたくないのにただそのほうが人気だからといって、キャリアウーマンの道に進んだり、逆に、本当は大企業でバリバリ働きたいのに、そのほうが流行ってるからと、自由に働くノマドワーカーを気取ってみたり。
「このままでいいのかな」と心のどこかで思ってしまう不安は、たぶん、そういう「役割の不一致」からくるのだと思う。
そんな気がする。
まあ全部私のこじつけっていうか、そう考えるのが楽だから一旦仮説として置いてるだけなんだけど、そう考えるのが一番しっくりくる。
でも、それなら、私は?
華がない人間である役割って、一体何?
私は、華がない人間。
私は地味。
目立たない。
影が薄い。
いなくなったことに気づかれない。
そういう部分にばかり、目を向けていたし、どうしてそういうところばかり気にしてしまうんだろうと思っていたけれど、もしかしたら、それでいいのかもしれない。
たぶん、マイナスなことに目を向けるのが、私の役割なのだ。
いろんなところをぐるぐる回って、ああでもないこうでもないと一人で悩んで議論して、あれこれ仮説を考えて、そして結局は、なんとかプラスに抜けていく。
人には「どうでもいい」と言われるようなことを延々と、考え続ける。
たぶん、それが私の役割だ。
些細なマイナスを、普通の人間は素通りするようなマイナスを一つ一つ拾っていって、じっくり気がすむまで眺めて、どうすればそれがプラスに変わるのか、考える。
どうすれば面白く見えるか。どうすれば、どうでもいいことを「どうでもよくなかったでしょ」と言えるように、変換できるか。
それが、私の役割。
まあ、かっこよく言えば、二酸化炭素を吸収して、酸素にして吐き出す、ものすごく小さい植物みたいなものだろうか。
いや、違うな。
もしかしたら、時計を持って逃げていくウサギを延々と追いかけて、ぐるぐる駆けずり回って、体が大きくなったり小さくなったり、変な芋虫に絡まれたりしながら、結局ウサギを見つけたと思ったら自分が捕まって。
はっと気がついたら、あーなんだ、よかった、穴ぬけられたわ、なんて言って延々と不思議の国を冒険している、アリスかもしれない。
やっぱり、私は、アリスの役割をやるにふさわしい人間なのかもしれない……?
ま、そんなん、植物だろうがアリスだろうが、どっちでもいいんだけどさ。自分がアリスだって思うと途端に全部がキラキラして見えるから、世の中は、不思議だ。
1992年、東京都生まれ。早稲田大学国際教養学部卒。
2014年からWEB天狼院書店で書き始めたブログ「川代ノート」が人気を得る。
「福岡天狼院」店長時代にレシピを考案したカフェメニュー「元彼が好きだったバターチキンカレー」がヒットし、天狼院書店の看板メニューに。
メニュー告知用に書いた記事がバズを起こし、2021年2月、テレビ朝日系『激レアさんを連れてきた。』に取り上げられた。
現在はフリーランスライターとしても活動中。
『私の居場所が見つからない。』(ダイヤモンド社)がデビュー作。