「やればできる」の一回転目を回す
個別指導というと、生徒一人ひとりの分からないところを聞き取り、苦手な部分を重点的に教えていくというスタイルもあります。しかし、それでは学校の授業の後追いになってしまいます。
私たちが個別指導を行うのは、それ自体が目的ではありません。学校の成績を上げること、それによって子どもたちに「自分もやればできるんだ」と思ってもらうことを最大の目標としています。塾はもちろん学校でも、集団指導のスタイルの中で分からない子どもを置いてきぼりにし、学習計画さえ進めばOKというような授業が長年続いてきました。近年でこそ「個別最適化」という言葉が叫ばれるようになりましたが、それ以前はテストの成績が振るわなくても、皆勤賞を取れば褒められるという事態も起きていました。
皆勤賞自体が悪いのではありませんが、どこかズレていると私は思うのです。履修主義で出席さえしていればいいという下地があると、学習が遅れている生徒一人ひとりに手を差し伸べるという体制が作りにくくなるのではないでしょうか。そして学校に倣うように、塾でも履修主義がまかり通り、一部の優秀な生徒のみにフォーカスして進学率を稼ぎ、あとの生徒は出席しているだけでよいという体制ができてしまった。その裏で、分からない授業を受けさせられてきた子どもたちの苦痛は、見落とされてきたのです。
授業が分かり、定期テストの点数が上がると、子どもたちは劇的に変化します。「やればできる」と気づいたあとの成長は、私たちの想像を遥かに超えていきます。彼らがもっとも恐れてきた定期テストで点数が上がるのですから、当然、自己肯定感が高まります。これまでは自宅に帰ればテレビを見てスマホをいじって寝るだけだった生活から一転、自ら家庭学習に取り組むようになる子どももいます。やればできるのですから、やればやるだけ楽しくなるのです。また、それまでは考えたこともなかったはずなのに、学級委員などに立候補するようになる子どもも少なくありません。自分に自信がつく、やればできる、何かができると感じられるようになった子どもたちの変化は、実に頼もしいものです。
授業中に寝ていることも減ってきます。今まで何を言っているのか分からなかった先生の話が分かるのですから、耳を傾けたくなるのも当然のことです。顔を上げて、キラキラした目で先生を見ている。これまでうつろな目で席に座っていた生徒の変化に、驚く先生もいるようです。英語なんか将来話すこともないからと言っていた生徒が、自ら英語を学びだすこともあります。
私たちが行うのは、“やればできる”の一回転目を回すことです。それだけで、あとは子どもたちが自ら前進してくれます。その様は見ていて清々しく、私たちもやる気をもらえるものです。その姿を見るために私たちは、保護者と子どもたちのニーズに応えることだけに、真正面から取り組んできました。そして、普段の授業を分かるようにして、定期テストの点数を上げることが、一回転目を回すことなのです。
私たちは森塾の生徒に、「将来の夢を持て」という指導はあまりしません。それが、学習を始める前のミドル層の彼らには、意味のないことであると知っているからです。「やればできる」「将来のために」と鼓舞してそれがモチベーションとなるのは、もともと優秀な生徒だけです。そのような子どもたちは幼いころからやればできることを体験していて、さらに学年を経るごとに「できるやり方」も身につけてきています。進学塾に通うトップクラスの生徒たちは、実は塾になど通わなくてもできる素質があり、大人の手助けなど必要ないかもしれないとすら思うことがあります。
しかし、ミドル層の子どもたちはそうではありません。まずは、「やればできる」の一回転目を回す必要があるのです。そのために今すぐに必要なのが、授業の予習であり、定期テストの20点アップであり、それを達成する前に将来の夢や進学を考えて頑張れと鼓舞したところで、彼らにとってはピンとこないのです。
だからこそ私たちは、まずは学校で活躍してもらうことを目指しています。そのためにもっとも効率が良いのが、3か月ごとにやってくる定期テストの点数を上げることなのです。