もう1つは、前回の記事でも少し触れましたが、もともと分散処理の仕組みであるウェブの世界のコントロールを、グーグルやフェイスブックのようなWeb 2.0時代の覇者の手から取り戻そうという意味での非中央集権化です。後者の意味の非中央集権化では、しばしば「GAFAではない別の、より民主的なプレーヤーが現れる分には、完全な非中央集権化でなくても構わない」というふうにとらえられている節があります。

 たとえばオープンシーのようなサービスでは、“オープンシーコイン”のような特定のトークンしか使えないということはなく、いくつかのトークンが選べるようになっています。そうした部分をユーザーが見て「グーグルのようにはならないだろう」と期待する部分がきっとあると思うのです。

 これは、ディセントラライズというよりは「ディカップルド(Decoupled)」「インディペンデンシー(Independency)」であると私は感じます。つまり巨大サービスからの分離であるとか、プラットフォームによる占有やバンドルを極力排除して、ユーザーが自分とサービスとの連結を切り離すイメージが強いのではないかと思います。

「ただ楽しそうだから」
新しい技術はそこから始まる

 ここまではWeb3とそれにまつわるサービスなどについて、自分なりに考えたことを述べてきました。加えて最近、Web3領域で事業立ち上げを目指す方と話す機会があったので、その話から考えたことも紹介しておきましょう。

 先ほどWeb3について「技術先行で何ができるか分かりにくい」「ニーズがなければ普及に至らないのではないか」と述べましたが、私が話をした起業家からは「その考え方が古い」と言われました。

 その人いわく、Web3は「面白そうだからやっている」という人たちがたくさんいて、そこから何かが生まれるかもしれない期待感があるそうです。それを聞いて、確かにこれまでにも多くの新しい技術が、そうやって生まれていることも事実だと気づかされました。