ウェブの仕組みを考案し、実装したティム・バーナーズ=リーは、ウェブの目的を明確に「研究所に散在する情報にアクセスできる仕組み」と考えていたはずです。しかし、この新しい仕組みに集まってきた人たちは、誰もが各種情報へのアクセスだけを期待していたわけではありません。「こんなこともできる」「あんなこともできる」と想像が膨らみ、面白いと感じたからウェブに携わるようになったのです。
初めからウェブで買い物ができるとは誰も考えていなかったと思いますが、ジェフ・ベゾスが「ウェブで本を売れば面白いのでは」と考えたから、今のアマゾンがあるわけです。「この技術を使ってこんなことをしてみたらよいのでは」というのは、製造業の世界では「プロダクトアウト」的な発想としてあまり推奨されませんが、プロダクト以前の、本当に楽しんで何かを作っていった人たちが、現在のウェブを形作っていきました。
サーバーなどで広く使われているオペレーティングシステム「リナックス(Linux)」開発の中心人物、リーナス・トーバルズも「それがぼくには楽しかったから(Just for Fun)」という有名な言葉を発しています。つまり、これまでにも新しい技術が生まれるときには「面白いから」手を付ける人々の存在があったわけで、Web3は今まさにその状況なのかもしれません。
理解できないWeb3を
否定しがちなリスク
私がグーグル在籍中、チーフインターネットエバンジェリスト兼VPで「インターネットの父」と呼ばれるヴィントン・サーフが来日した際に、「インターネットは特定のユースケースを考えていなかった。それが成功の要因だった」と語っていた記憶があります。
そう考えていくと、「特定の何かに対する解決策を考える」手法というのは、私が携わっているプロダクトづくりの世界では王道かもしれませんが、もしかしたら技術先行で世の中が変わることも多々あって、Web3ではその流れが強いのかもしれない、と今は考えているところです。
私の周りにいる、ウェブにずっと携わってきたような人たちには、Web3に対して否定的な考えの人も多く、私自身もその1人でした。ただ、以前、「鬼滅、あつ森理解できる?『老害』と非難されないための3つの処方箋」という記事でも書いたように、理解できないものを否定することは、自分の世界を狭めることにつながります。
Web3についても、自分が理解できないだけで、とてつもない可能性を秘めているのではないか。そう考えたときに「これは考えを改めなければいけないのではないか」と思い至りました。