戦争で定着したものなので戦争が終われば当然、廃れていく。戦後の日本経済は、伊藤忠商事の瀬島龍三氏に代表されるように、戦時中のエリートたちが中心になって立て直した。だから、日本の企業文化は終身雇用や年功序列などゴリゴリに戦時体制を引きずってきた。

 この日本型企業システムの崩壊が始まったのが、1970年代から80年代にかけてだ。ちょうど瀬島氏たち戦中世代が「一線」を引いてからであり、時を同じくして、「大卒の若者たちが会社をすぐに辞める」という問題も盛んに叫ばれるようになっている。

 つまり、日本の長い歴史を振り返れば、大学を卒業したばかりの若者が、「定年退職までお世話になるつもりです」なんて言って働いている時代の方が「異常」であって、1、2年で会社をサクッと辞めてしまう方が、「日本人の伝統的な働き方」に近いのである。

 そう考えていくと導き出されるこの問題の答えは一つだ。「どうすれば若者の離職を防ぐか」なんてことを考えるのをさっさとやめてしまうのである。

「若者は転職するのが当たり前」
囲い込みの組織論理から脱却せよ

「会社を潰す気か」と怒る人もいるかもしれない。だが、海外で生活をしていた人は分かると思うが、世界では「なぜ大学を卒業した若者が会社を辞めてしまうのだ!」なんてことをいちいち議論をしない。

 一般的に、若者は野心や夢があるので、大学を出たら自分のキャリアを積むため、新しい技術や人脈を獲得するために積極的に転職を繰り返していくのが普通だからだ。

「海外は海外だ!日本は新卒がしっかりと長く会社で働くことで、技術や企業文化などが継承されて、それが日本の強みにつながってきたのだ」という反論があろうが、それは言い換えると、「国の技術力のためには国民の職業選択の自由は制限すべし」と言っているに等しい。戦時中ならいざ知らず、民主国家で、そんな珍妙なロジックを主張する国は珍しい。日本のように技術大国と評価されるドイツや、世界の半導体工場といわれる台湾でも、優秀な学生は当たり前のように転職を繰り返してキャリアを積んでいく。

「若者は自分の将来を考えれば積極的に転職を繰り返す」というのが民主主義国家の常識であって、それを邪魔しないことには企業の技術力が上がらないとか、経済が崩壊するというのは、日本だけで心配されている「被害妄想」のようなものだ。

 これは逆にポジティブに捉えれば、「若者は転職をするのが当たり前」という事実を受け入れて、「一度入社したら辞めないでね」という閉鎖的なカルチャーから脱却すれば、日本企業はもっと成長できる、ということでもある。

 向上心のある若者たちは、1、2年という短いスパンで経験を積みたいので年功序列などに気を使わず必死に結果を出すために働く。そういう風通しの良さがあれば、「あそこの会社の方が活躍できそう」と他社でくすぶっている有能な人材も来てくれる。海外からの有能な人材も増えるだろう。

 ネットを見渡してみると、いろいろな雇用の専門家が、若者が会社を去る原因について、あれが悪い、これが悪いとして分析をして、福利厚生を充実せよとか、上司がもっと親身にコミュニケーションを取れとかさまざまな対策を提言している。

 が、実は最も若者が会社に嫌気が差して去るのは、キャリアを磨いてより良い人生を歩みたいと願う個人を「労働力」としてしか見ていなからだ。そして、「どうすれば囲い込めるか」なんて、まるで家畜のように自由を奪って縛り付けているからだ。

 そういう組織論理から脱却しない限り、いつまでたっても若者流出は止められないのではないか。

(ノンフィクションライター 窪田順生)