【看取りの現場の医師と看護師から】人はいつ話せなくなるかわからない。親のためにも自分のためにも元気なうちに確認しておきたいこと宮崎万友子(みやざき・まゆこ)
飯塚病院看護部緩和ケア認定看護師
緩和ケアチーム専従看護師。患者さんとご家族が過ごしたい場所で安心して過ごせることを目指して活動している

宮崎:うちもですよ。「えー、死ぬの? お母さんが?」みたいな感じです。

柏木:うちの親は、タバコをめちゃくちゃ吸っていて、肺気腫なんです。タバコはやめろと言っても、「もうタバコは止められんけん。だけん、先生に年に1回はCT撮ってもらうようにちゃんと言っとる!」って。

「ちょっと、待て待て待て。CTを撮るのは検査であって、病気を防ぐことじゃないよ」というのを10分くらい説明したけれど通じなくて、「もう好きにしろ」という感じでした。

宮崎:後閑さんのお母さんみたいな人だったら、テーブルについて話し合いもできるんでしょうけど。

後閑:「もしバナゲーム」は面白くて、私も親とやったんですよ。

大きな責任を家族に押し付けないために

後閑:両親と私と息子(当時高校生)と4人でやりました。

母はもう定年していますけれど、最後は腎臓内科に勤務していて、透析患者さんをたくさん見てきたんです。過度な延命もたくさん見てきて現実を知っているから、「最後は痛みや苦しさは絶対取ってね。苦しいと、周りにも八つ当たりしたりして優しくすることができないから」って。

父は、「最後寂しいのはいやだけれど、24時間つきっきりもいやだから、気にかけてたまに会いにきてくれればいいよ」って。

息子はその時は高1だったんですけれど、もし今、余命半年と言われたら、としたら、「親には迷惑をかけたくないから、僕は延命治療はしないでほしい」と言ってました。

私は、「自分のことは自分で決めたいから、なんでも聞いてほしいし、話してほしい。決められなくなったら、意思を尊重して静かに看取ってほしい」と伝えました。

痛みや苦しみは絶対取ってほしい母、寂しいのはいやだからたまにそばにいてという父、親に迷惑をかけたくない高校生の息子、自分のことは自分で決めたい私。

家族でも「こんなこと考えてるんだ」という発見があって、いろんな価値観がすごく興味深かったです。しかも、あれってゲームだから、深刻にならず結構楽しく話し合えるんですよね。

柏木:コンディションの良い時だからね。

大森:僕たちが実家に帰るのは年末年始ぐらいしかないから、「そんなことを年始そうそうにやるなんて」となりそうですけど、ちょっとやってみようと思いました。

後閑:意外と盛り上がりますよ。

柏木:僕たち医療者はさらっと、「最後までどう過ごして、どう締めくくるか、家族内でちゃんと話し合っておいてよ」なんて言うけれど、医療者ですらできていないんだから、そこはできないものだと思っておかないと。

大森:できないですよ。よっぽどリテラシーが高いか、他のアプローチも考えながらでないと。「死に直面してからのACP」と「死に直面する前のACP」と2つあるとは思うんですが、両方をアプローチできる工夫は必要でしょうね。綺麗事だけではなく。

後閑:がんでお母さんを亡くした友人に、「看取りで何がいちばんつらかった?」と聞いたら、「親とはいえ、他人の人生を決めるのがいちばんつらかった」と言うんです。治療をする、しない、延命する、しない、本人がもうしゃべれなくなっていたから、自分が決めなければいけない。「親の人生を子である自分が決めないといけないというのがつらかったから、元気なうちから聞いておけばよかった」って。

ACPって、一度話し合ったら終わりというものではなく、プロセスが大事だと言われています。いつ、人はしゃべれなくなるか、亡くなるかなんてわからないから、元気なうちに一度話し合いをしておいて、がんになった、心不全になった、入院します、手術します、なんてことになった時に、「以前はこう言っていたけれど、今はどう思うの?」と、節目節目で確認することが大事かなと思っています。

まとめ
・医学的なエビデンス情報は大事だが、もっと大事なのは自分の物語をどう続けていきたいかを考えること。
・普段から何気ない会話をしていないと、医療者でも「もしものこと」を家族と話し合うことは難しい。
・家族に大きな責任とつらい選択を押し付けないために、自分の価値観を家族に元気なうちから話し合い続けていこう。